と同じような工合である。退いて考えてみて、自ら苦笑することがある位だ。

 だが、これほどの師にもなお触れることを許さぬ胸中の奥所がある。ここばかりは譲《ゆず》れないというぎりぎり結著[#「ぎりぎり結著」に傍点]の所が。
 すなわち、子路にとって、この世に一つの大事なものがある。そのものの前には死生も論ずるに足りず、いわんや、区々たる利害のごとき、問題にはならない。侠といえばやや軽すぎる。信といい義というと、どうも道学者流で自由な躍動《やくどう》の気に欠ける憾《うら》みがある。そんな名前はどうでもいい。子路にとって、それは快感の一種のようなものである。とにかく、それの感じられるものが善きことであり、それの伴《ともな》わないものが悪《あ》しきことだ。極めてはっきりしていて、いまだかつてこれに疑を感じたことがない。孔子の云う仁とはかなり[#「かなり」に傍点]開きがあるのだが、子路は師の教の中から、この単純な倫理観を補強するようなものばかりを選んで摂《と》り入れる。巧言令色足恭《コウゲンレイショクスウキョウ》、怨《ウラミ》ヲ匿《カク》シテ其《ソ》ノ人ヲ友トスルハ、丘|之《コレ》ヲ恥《ハ》ヅ 
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