傍点]自信が無いのだろうよ。あの手合《てあい》はね。
 子路は背後《うしろ》から人々を分けて、つかつかと弁者の前に進み出た。人々は彼が孔門の徒であることをすぐに認めた。今まで得々と弁じ立てていた当の老人は、顔色を失い、意味も無く子路の前に頭を下げてから人垣《ひとがき》の背後に身を隠《かく》した。眥《まなじり》を決した子路の形相《ぎょうそう》が余りにすさまじかったのであろう。

 その後しばらく、同じような事が処々で起った。肩《かた》を怒《いか》らせ炯々《けいけい》と眼を光らせた子路の姿が遠くから見え出すと、人々は孔子を刺《そし》る口を噤《つぐ》むようになった。
 子路はこの事で度々師に叱られるが、自分でもどうしようもない。彼は彼なりに心の中では言分《いいぶん》が無いでもない。いわゆる君子なるものが俺と同じ強さの忿怒《ふんぬ》を感じてなおかつそれを抑え得るのだったら、そりゃ偉い。しかし、実際は、俺ほど強く怒りを感じやしないんだ。少くとも、抑え得る程度に弱くしか感じていないのだ。きっと…………。

 一年ほど経《た》ってから孔子が苦笑と共に嘆《たん》じた。由《ゆう》が門に入ってから自分は悪言を耳にしなくなったと。

     四

 ある時、子路が一室で瑟《しつ》を鼓《こ》していた。
 孔子はそれを別室で聞いていたが、しばらくして傍《かたわ》らなる冉有《ぜんゆう》に向って言った。あの瑟の音を聞くがよい。暴※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《ぼうれい》の気がおのずから漲《みなぎ》っているではないか。君子の音は温柔《おんじゅう》にして中《ちゅう》におり、生育の気を養うものでなければならぬ。昔|舜《しゅん》は五絃琴《ごげんきん》を弾《だん》じて南風の詩を作った。南風の薫《くん》ずるやもって我が民の慍《いかり》を解くべし。南風の時なるやもって我が民の財を阜《おおい》にすべしと。今|由《ゆう》の音を聞くに、誠に殺伐激越《さつばつげきえつ》、南音に非《あら》ずして北声に類するものだ。弾者の荒怠暴恣《こうたいぼうし》の心状をこれほど明らかに映し出したものはない。――
 後、冉有が子路の所へ行って夫子《ふうし》の言葉を告げた。
 子路は元々自分に楽才の乏《とぼ》しいことを知っている。そして自らそれを耳と手のせいに帰していた。しかし、それが実はもっと深い精神の持ち方から来ているの
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