た。次の朝未だ暗い中に出發しようとした所、驛吏が言ふことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白晝でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでせうと。袁※[#「にんべん+參」、第4水準2−1−79]は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、驛吏の言葉を斥けて、出發した。殘月の光をたよりに林中の草地を通つて行つた時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あはや袁※[#「にんべん+參」、第4水準2−1−79]に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隱れた。叢の中から人間の聲で「あぶない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。其の聲に袁※[#「にんべん+參」、第4水準2−1−79]は聞き憶えがあつた。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思ひあたつて、叫んだ。「其の聲は、我が友、李徴子ではないか?」袁※[#「にんべん+參」、第4水準2−1−79]は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かつた李徴にとつては、最も親しい友であつた。温和な袁※[#「にんべん+參」、第4水準2−1−79]の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかつたためであらう。
 叢の中からは、暫く返辭が無かつた。し
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