、己《おのれ》の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出來なかつた。己《おれ》は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚《ざんい》とによつて益※[#二の字点、1−2−22]己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる[#「ふとらせる」に傍点]結果になつた。人間は誰でも猛獸使であり、その猛獸に當るのが、各人の性情だといふ。己《おれ》の場合、この尊大な羞恥心が猛獸だつた。虎だつたのだ。之が己を損ひ、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形を斯くの如く、内心にふさはしいものに變へて了つたのだ。今思へば、全く、己《おれ》は、己の有《も》つてゐた僅かばかりの才能を空費して了つた譯だ。人生は何事をも爲さぬには餘りに長いが、何事かを爲すには餘りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだつたのだ。己よりも遙かに乏しい才能でありながら、それを專一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに氣が付いた。それを思ふと、己は今も胸を灼かれるやうな悔を感じる、己に
前へ
次へ
全15ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング