ごうき》朴直な此の独裁者は、殆ど涙を浮かべて、「彼を少しも欺さなかった」私の為に、訣別《けつべつ》の歌をうたった。彼は其の島で唯一人の吟遊詩人でもあったのだから。
ハワイのカラカウア王はどうしているか? 聡明で、しかし常に物悲しげなカラカウア。太平洋人種の中で私と対等にマックス・ミューラアを論じ得る唯一の人物。曾《かつ》てはポリネシアの大合同を夢見た彼も、今は自国の衰亡を目前に、静かに諦観《ていかん》して、ハアバアト・スペンサーでも読耽《よみふけ》っているのであろう。
半夜、眠れぬままに、遥かの濤声《とうせい》に耳をすましていると、真蒼な潮流と爽《さわ》やかな貿易風との間で自分の見て来た様々の人間の姿どもが、次から次へと限無く浮かんで来る。
まことに、人間は、夢がそれから作られるような物質であるに違いない。それにしても、其の夢夢の、何と多様に、又何と、もの哀れにもおかしげなことぞ!
十一月××日
ウィア・オヴ・ハーミストン第八章書上。
この仕事も漸《ようや》く軌道に乗って来たことを感ずる。やっと対象がはっきり掴《つか》めて来たという訳だ。書きながら自分でも何かどっしり[#「どっしり」に傍点]した、分厚なものを感じている。「ジィキルとハイド」や「誘拐《キッドナップト》」の場合も恐ろしく速く書けたが、書いている最中に確かな自信はなかった。もしかしたら素晴らしいものになっているかも知れないが、或いは又、てんで独りよがりの・恥ずべき駄作かも知れないという懼《おそれ》があった。筆が自分以外のものに導かれ追廻されている恰好《かっこう》だったからだ。今度は違う。同じく、楽に、速く進行してはいるが、今度は明かに自分が凡《すべ》ての作中人物の手綱をしっかり抑えているのだ。出来栄の程度も、自分ではっきり判るように思う。昂奮《こうふん》した自惚《うぬぼれ》によってでなく、落着いた計量によって。之は、最低の見積りによっても、「カトリオーナ」より上に位するものとなろう。まだ完結はしていないが、これは確かである。島の諺《ことわざ》にいう。「鮫《さめ》か鰹《かつお》か、は、尾を見ただけで判る」と。
十二月一日
夜はまだ明けない。
私は丘に立っていた。
夜来の雨は漸くあがったが、風はまだ強い。直ぐ足下から拡がる大傾斜の彼方、鉛色の海を掠《かす》めて西へ逃げる雲脚の速さ。雲の断目《きれめ》から時折、暁近い鈍い白さが、海と野の上に流れる。天地は未だ色彩を有《も》たぬ。北欧の初冬に似た、冷々した感じだ。
湿気を含んだ烈風が、まともに吹付ける。大王|椰子《やし》の幹に身を支え、辛うじて私は立っていた。何かしら或る不安と期待のようなものが心の隅に湧いて来るのを感じながら。
昨夜も私は長いことヴェランダに出て、荒い風と、それに交る雨粒とに身をさらしていた。今朝も斯《こ》うやって強い風に逆らって立っている。何か烈しいもの、兇暴《きょうぼう》なもの、嵐のようなものに、ぐっ[#「ぐっ」に傍点]とぶっつかって行きたいのだ。そうすることによって、自分を一つの制限の中に閉込めている殻を叩きつぶしたいのだ。何という快さだろう! 四大の峻烈《しゅんれつ》な意志に逆らって、雲と水と丘との間に屹然《きつぜん》と独り目覚めてあることは! 私は次第にヒロイックな気持になって行った。‘O! Moments big as years.’とか、‘I die, I faint, I fail.’とか、とりとめない文句を私は喚いた。声は風に千切られて飛んで行った。明るさが次第に、野に丘に海に加わって行く。何か起るに違いない。生活の残渣《ざんさ》や夾雑物《きょうざつぶつ》を掃出して呉れる何かが起るに違いないという欣《よろこ》ばしい予感に、私の心は膨れていた。
一時間もそうしていたろうか。
やがて眼下の世界が一瞬にして相貌を変じた。色無き世界が忽《たちま》ちにして、溢《あふ》れるばかりの色彩に輝き出した。此処からは見えない、東の巌鼻《いわはな》の向うから陽が出たのだ。何という魔術だろう! 今迄の灰色の世界は、今や、濡れ光るサフラン色、硫黄色、薔薇《ばら》色、丁子色、朱色、土耳古《トルコ》玉《だま》色、オレンジ色、群青、菫《すみれ》色――凡《すべ》て、繻子《しゅす》の光沢を帯びた・其等の・目も眩《くら》む色彩に染上げられた。金の花粉を漂わせた朝の空、森、岩、崖、芝地、椰子樹《やしじゅ》の下の村、紅いココア殻の山等の美しさ。
一瞬の奇蹟を眼下に見ながら、私は、今こそ、私の中なる夜が遠く遁逃《とんとう》し去るのを快く感じていた。
昂然《こうぜん》として、私は家に戻った。
二十
十二月三日の朝、スティヴンスンは何時もの通り三時間ばかり、「ウィア・オヴ・ハーミストン」を口授して、イソベルに筆記させた。午後、書信を数通したため、夕方近く台所に出て来て、晩餐《ばんさん》の支度をしている妻の傍で冗談口をききながら、サラダを掻きまぜたりした。それから、葡萄酒《バーガンディ》を取出すとて、地階へ下りて行った。瓶を持って妻の傍まで戻って来た時、突然、彼は瓶を手から落し、「頭が! 頭が!」と言いながら其の場に昏倒《こんとう》した。
直ぐに寝室に担ぎ込まれ、三人の医者が呼ばれたが、彼は二度と意識を回復しなかった。
「肺臓|麻痺《まひ》を伴う脳溢血《のういっけつ》」之が医師の診断であった。
翌朝、ヴァイリマは、土人の弔問客達から贈られた野生の花・花・花で埋められた。
ロイドは、自発的に勤労を申出た二百人の土人を指揮して、未明から、ヴァエア山巓《さんてん》への道を斫《き》り拓《ひら》いていた。其の山頂こそ、スティヴンスンが、生前、埋骨の地と指定して置いた所だった。
風の死んだ午後二時、棺が出た。逞《たくま》しいサモア青年達のリレーによって、叢林《そうりん》中の新しい道を、山巓に向って運ばれるのである。
四時、六十人のサモア人と、十九人の欧羅巴《ヨーロッパ》人との前で、スティヴンスンの身体は埋められた。
海抜千三百|呎《フィート》、シトロンやたこ[#「たこ」に傍点]の木に取囲まれた山頂の空地である。
故人が、生前、家族や召使達の為に作った祈祷《きとう》の一つが、その儘《まま》、唱えられた。噎《む》せる程強いシトロンの香の立ちこめる熱い空気の中で、会衆は静かに頭を垂れた。墓前を埋めつくした真白な百合の花弁の上に、天鵞絨《ビロード》の艶を帯びた大黒揚羽蝶が、翅《はね》を休めて、息づいておった。…………
老酋長《ろうしゅうちょう》の一人が、赤銅色の皺《しわ》だらけの顔に涙の筋を見せながら、――生の歓びに酔いしれる南国人の・それ故にこそ、死に対して抱く絶望的な哀傷を以て――低く眩いた。
「トファ(眠れ)! ツシタラ。」
底本:「昭和文学全集 第7巻」小学館
1989(平成1)年5月1日初版第1刷発行
底本の親本:「中島敦全集 第1巻」筑摩書房
1976(昭和51)年3月初版発行
※「李陵 山月記 檸檬 愛撫 外十六篇」文春文庫を参照して、「卓子《テーブル》」「輪索《わな》」「稜鏡《プリズム》」「榕樹《ガジマル》」のルビを補った。
※「著」は本来、「着」の正字である。本作品中に見られる、「愛著《あいちゃく》」は、誤植ではない。
入力:kompass
校正:伊藤時也
2001年8月3日公開
2004年2月4日修正
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