来る。自分は自分が思っている程自分ではなく、今から八十五年前北海の風波や海霧《ガス》に苦しみながら、干潮の時だけ姿を見せる・此の魔の岬と、実際に戦ったことがあるのだ、と、確かにそう思えて来る。風の激しさ。水の冷たさ。艀《はしけ》の揺れ。海鳥の叫。そういうもの迄がありありと感じられるのだ。突然胸を灼《や》かれるような気がした。磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《こうかく》たるスコットランドの山々、ヒースの茂み。湖。朝夕聞慣れたエディンバラ城の喇叭《らっぱ》。ペントランド、バラヘッド、カークウォール、ラス岬、嗚呼《ああ》!
私の今いる所は、南緯十三度、西経百七十一度。スコットランドとは丁度地球の反対側なのだ。
七
「灯台技師の家」の材料をいじっている中に、何時かスティヴンスンは、一万|哩《マイル》彼方のエディンバラの美しい街を憶《おも》い出していた。朝夕の霧の中から浮び上る丘々や、その上に屹然《きつぜん》として聳える古城郭から、遥か聖ジャイルス教会の鐘楼へかけての崎嶇《きく》たるシルウェットが、ありありと眼の前に浮かんで来た。
幼い頃からひどく気管の弱かった少年ス
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