燃焼しきれずに残るものがある。私が今スランプに喘《あえ》いでいるのは一つの事、私が斯の道に限無い誇を感ずるのは他の事である。
土人、白人の両方に於ける不人望と、相続く紛争に対する引責とで、遂に政務長官フォン・ピルザッハが辞職した。裁判所長《チーフ・ジャスティス》も近く辞める筈。目下の所彼の法廷は既に閉じられているが、彼のポケットのみは、まだ俸給を受けるべく開かれている。彼の後任はイイダ氏と内定の由。とにかく新政務長官来任迄は、昔のように、英米独領事の三頭政治だ。
アアナの方面に暴動の起りそうな形勢がある。
十五
マターファがヤルートヘ流された後も、土民の一揆《いっき》は絶えなかった。
一八九三年の暮、曾てのサモア王タマセセの遺児が、トゥプア族を率いて兵を挙げた。小タマセセは、王及び全白人の島外放逐(或いは殲滅《せんめつ》)を標榜《ひょうぼう》して起ったのだが、結局ラウペパ王|麾下《きか》のサヴァイイ勢に攻められ、アアナで潰《つい》えた。叛軍に対する所罰としては、銃五十|梃《ちょう》の没収、未納の税金徴収、二十|哩《マイル》の道路工事等が課せられたに過ぎなかった。前のマターファの場合の厳罰と比べて余りにも不公平である。父のタマセセが昔、独逸《ドイツ》人に擁立された虚器《ロボット》だった関係で、小タマセセには一部独逸人の支持があったからだ。スティヴンスンは又、無益な抗議を方々に向って試みた。小タマセセに厳罰を与えよ、というのでは、勿論ない。マターファの減刑を求めたのだ。人々は最早、スティヴンスンがマターフアの名を口に出すと、笑出すようになった。それでも彼はむき[#「むき」に傍点]になって、本国の新聞や雑誌にサモアの事情を繰返し繰返し訴えた。
今度の騒ぎにも矢張首狩が盛んに行われた。首狩反対論者のスティヴンスンは、早速、首を斬取《きりと》った者に対する所罰を要求した。此の乱の始まる直前に、新任のチーフ・ジャスティスのイイダ氏が議会を通じて首狩禁止令を出しているのだから、之は当然である。しかし、此の所罰は実際には行われなかった。スティヴンスンは憤った。島の宗教家共が案外首狩に就いて無関心なのにも、彼は腹を立てた。目下の所サヴァイイ族は飽く迄首狩を固執しているが、ツアマサンガ族は首の代りに耳を斬取るだけで我慢しているのだ。かつてのマターファの如きは、部下に殆《ほとん》ど絶対に首を取らせなかった。努力一つで必ず此の悪習は根絶できるのだと、彼は考えていた。
ツェダルクランツの失政のあとを受け、今度のチーフ・ジャスティスは次第に白人や土人の間に於ける政府の信用を回復しつつあるかに見えた。しかし、小規模の暴動や、土民間の紛争や、白人への脅迫は、一八九四年を通じて、何時も絶えることがなかった。
十六
一八九四年二月×日
昨夜例の如く離れの小舎で独り仕事をしていると、ラファエレが提灯《ちょうちん》とファニイからの紙片とを持ってやって来た。うち[#「うち」に傍点]の森の中に暴民共が多く集まっているらしいから、至急来て欲しい旨、書かれている。跣足《はだし》でピストルを携え、ラファエレと共に下りて行く。途中でファニイの上って来るのに会う。一緒に家に入り、気味の悪い一夜を明かす。タヌンガマノノの方から終夜、太鼓と喊声《かんせい》とが聞えた。遥か下の街では月光(月は遅く出た)の下で狂乱を演じていたようだ。うち[#「うち」に傍点]の森にも確かに土民共が潜んでいるらしいが、不思議に騒がない。ひっそりしている方が却《かえ》って不気味だ。月の出ない前、碇泊中《ていはくちゅう》の独艦のサーチライトが蒼白い幅広の光芒《こうぼう》を闇空に旋回させて、美しかった。床に就いたが頸部《けいぶ》のリウマチスが起って中々眠れない。九度目に寝つこうとした時、怪しい呻声《うめきごえ》が下男部屋の方から聞えた。頸《くび》を抑え、ピストルを持って、下男部屋へ行く。みんな未だ起きていてスウィピ(骨牌《カルタ》賭博《とばく》)をやっている。莫迦者《ばかもの》のミシフォロが負けて大袈裟《おおげさ》な呻声を発したのだ。
今朝八時、太鼓の音と共に巡邏兵《じゅんらへい》風の土民の一隊が、左手の森から現れた。と、ヴァエア山に続く右手の森からも少数の兵が出て来た。彼等は一緒になって、うち[#「うち」に傍点]へ、はいって来た。せいぜい五十名位のものだ。ビスケットとカヴァを馳走してやったら、大人しくアピア街道の方へ行進して行った。
莫迦げた威嚇だ。それでも領事連は昨夜一晩中眠れなかったろう。
先日街へ行った時、見知らぬ土人から青封筒の公式の書状を渡された。脅迫状だ。白人は、王側の者と関係すべからず。彼等の贈物をも受取るべからず…………私がマターファを裏切ったとでも思っ
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