。みんな唱い出す。小山の如く厖大《ぼうだい》なタウイロ夫人が素晴らしく良い声なので一驚する。その途中、又スコール。母もベルもタウイロも私も海亀も豚もタロ芋も鱶も瓢箪も、みんなびしょ[#「びしょ」に傍点]濡れ。ボートの底に溜《たま》った生ぬるい水に漬りながら、九時近く、やっとアピアに着く。ホテル泊まり。
六月××日
召使達が、裏山の藪《やぶ》の中で骸骨を見付けたと言って騒ぐので、みんなを連れて行って見る。成程、骸骨には違いないが、大分、時の経ったものだ。此の島の成人《おとな》としては、どうも小さ過ぎるようだ。藪の・ずうっと奥の・薄暗く湿った辺なので、今迄人目に付かなかったのだろう。そこらを掻廻している中に、又、別の頭蓋骨《ずがいこつ》(今度は頭だけ)が見付かった。私の親指二本はいる位の弾丸の穴があいている。二つの頭蓋骨を並べた時、召使達は、一寸ロマンティックな説明を見付けた。此の気の毒な勇士は戦場で敵の首を取った(サモア戦士の最高の栄誉)のだが、自らも重傷を負うていたので、味方にそれを見せることが出来ず、此処迄這っては来たが、空しく敵の首を抱いたまま死んで了ったのだろうと。(とすれば、十五年前の・ラウペパとタラヴォウとの戦の時のことか?)ラファエレ達が直ぐに骨を埋めにかかった。
夕方六時頃、馬で裏の丘を下りようとした時、前面の森の上に大きな雲を見た。それは、甲虫《かぶとむし》の如き額をした・鼻の長い男の横顔をはっきり現していた。顔の肉に当る部分は絶妙の桃色で、帽子(大きなカラマク人の帽子)、髭《ひげ》、眉毛は青がかった灰色。子供じみた此の図柄と、色の鮮明さと、そのスケールの大きさ(全く途方もない大きさ)とが、私を茫然《ぼうぜん》とさせた。見ている中に表情が変った。たしかに片眼を閉じ、顎《あご》を引く様子である。突然、鉛色の肩が前にせり出して、顔を消して了った。
私は他の雲々を見た。はっ[#「はっ」に傍点]と思わず息をのむばかりの・壮大な・明るい・雲の巨柱の林立。それ等の脚は水平線から立上り、其の頂きは天頂距離三十度以内にあった。何という崇高さだったろう! 下の方は氷河の陰翳《いんえい》の如く、上に行くにつれ、暗い藍《インディゴオ》から曇った乳白に至る迄の微妙な色彩変化のあらゆる段階を見せている。背後の空は、既に迫る夜のために豊かにされ又暗くされた青一色。その
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