に逃げられた。がっかりして、朋輩《ほうばい》の誰彼に一々共謀の疑をかけていたようだが、今はあきらめて新しい妻を見つけに掛かっている。
「サモア史」の完結で、愈々《いよいよ》、「デイヴィッド・バルフォア」に専念できる。「誘拐《キッドナップト》」の続篇だ。何度か書出しては、途中で放棄していたが、今度こそ最後迄続け得る見込がある。「難破船引揚業者《レッカー》」は余りに低調だった。(尤《もっと》も、割に良く読まれているというから不思議だが)「デイヴィッド・バルフォア」こそは「マァスタア・オヴ・バラントレエ」以来の作品となり得よう。デイヴィ青年に対する作者の愛情は、一寸他人には解るまい。

五月××日
 C・J《チーフ・ジャスティス》・ツェダルクランツが訪ねて来た。どうした風の吹廻しやら。うち[#「うち」に傍点]の者と何気ない世間話をして帰って行った。彼は、最近のタイムズの私の公開状(その中で彼をこっぴどく[#「こっぴどく」に傍点]やっつけた)を読んでいる筈。どういう量見で来たのだろう?

六月×日
 マターファの大饗宴《だいきょうえん》に招かれているので、朝早く出発。同行者――母、ベル、タウイロ(うち[#「うち」に傍点]の料理番の母で、近在の部落の酋長《しゅうちょう》夫人。母と私とベルと、三人を合せたより、もう一周り大きい・物凄い体躯《たいく》をもっている。)通訳の混血児サレ・テーラー、外、少年二人。
 カヌーとボートとに分乗。途中でボートの方が、遠浅の礁湖の中で動かなくなって了う。仕方がない。跣足《はだし》になって岸まで歩く。約一|哩《マイル》、干潟《ひがた》の徒渉。上からはかんかん[#「かんかん」に傍点]照付けるし、下は泥でぬるぬる[#「ぬるぬる」に傍点]滑る。シドニイから届いたばかりの私の服も、イソベルの・白い・縁とりのドレスも、さんざんの目に逢う。午過《ひるすぎ》、泥だらけになって、やっとマリエに着く。母達のカヌー組は既に着いていた。最早、戦闘舞踊は終り、我々は、食物献納式の途中から(といっても、たっぷり二時間はかかったが)見ることが出来ただけだった。
 家の前面の緑地の周囲に、椰子《やし》の葉や、荒布で囲われた仮小舎が並び、大きな矩形《くけい》の三方に土人達が部落別に集まっている。実にとりどりな色彩の服装だ。タパを纏《まと》った者、パッチ・ワークを纏った者、粉をふ
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