民の、商会に対する反感が次第に昂《たか》まった。美しく整理された商会の農場は、土人の眼に公園の如く映り、其処へ自由に入ることが許されぬのは、遊び好きな彼等にとって不当な侮辱と思われた。折角苦労して沢山のパイナップルを作り、それを自分達で喰べもせずに、船に載せて他処へ運んで了うに至っては、土人の大部分にとって、全く愚にもつかぬナンセンスである。
 夜、農場へ忍び入って畑を荒すこと、之が流行になった。之は、ロビンフッド的な義侠《ぎきょう》行為と見做《みな》され、島民一般の喝采《かっさい》を博した。勿論、商会側も黙ってはいない。犯人を捕えると、直ぐに商会内の私設監獄にぶち込んだばかりでなく、此の事件を逆用し、独逸領事と結んでラウペパ王に迫り、賠償を取るのは勿論、更に脅迫によって勝手な税法(白人、殊に独人に有利な)に署名させるに至った。王を始め島民達は、此の圧迫に堪えられなくなった。彼等は英国に縋《すが》ろうとした。そして、全く莫迦莫迦《ばかばか》しいことに、王、副王以下各大酋長の決議で「サモア支配権を英国に委《ゆだ》ねたい」旨を申出そうとしたのだ。虎に代うるに狼を以てしようとする此の相談は、しかし、直ぐ独逸側に洩《も》れた。激怒した独逸商会と独逸領事とは、直ちにラウペパをムリヌウの王宮から逐《お》い、代りに、従来の副王タマセセを立てようとした。一説には、タマセセが独逸側と結んで、王を裏切ったのだとも云われる。兎に角英米二国は独逸の方針に反対した。紛争が続き、結局、独逸は(ビスマルク流の遣り方だ)軍艦五隻をアピアに入港させ、其の威嚇の下にクー・デ・タを敢行した。タマセセは王となり、ラウペパは南方の山地深く逃れた。島民は新王に不服だったが、諸所の暴動も独逸軍艦の砲火の前に沈黙しなければならなかった。
 独兵の追跡を逃れて森から森へと身を隠していた前王ラウペパの許に、或夜、彼の腹心の一酋長から使が来た。「明朝中に貴下が独逸の陣営に出頭しなければ、更に大きな災禍《わざわい》が此の島に起るであろう」云々《うんぬん》。意志の弱い男ではあったが、尚、此の島の貴族にふさわしい一片の道義心を失ってはいなかったラウペパは、直ぐに自己犠牲を覚悟した。其の夜の中に彼はアピアの街に出て、秘かに前の副王候補者であったマターファに会見し、之に後事を託した。マターファは、ラウペパに対する独逸《ドイツ》の
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