詩人も、自己の作品の中に於てなら、友情が家庭や妻のために蒙《こうむ》らねばならぬ変化を充分冷静に観察できた筈だのに、今、実際眼の前で、最も魅力ある友が一婦人のために奪い去られるのには、我慢がならなかったのである。スティヴンスンの方でも、確かに、フアニイの才能に就いて幾分誤算をしていた所があった。一寸利口な婦人ならば誰しもが本能的に備えている男性心理への鋭い洞察[#「男性心理への鋭い洞察」に傍点]や、又、そのジャアナリスティックな才能を、芸術的な批評能力と買いかぶった所が確かにあった。後になって、彼も其の誤算に気付き、時として心服しかねる妻の批評(というより干渉といっていい位、強いもの)に辟易《へきえき》せねばならなかった。「鋼鉄《はがね》の如く真剣に、刃《やいば》の如く剛直な妻」と、或る戯詩の中で、彼はファニイの前に兜《かぶと》を脱いだ。
 連子のロイドは、義父と生活を共にしている間に、何時か自分も小説を書くことを覚え出した。此の青年も母親に似て、ジャアナリスト的な才能を多く有《も》っているようである。息子の書いたものに義父が筆を加え、それを母親が批評するという、妙な一家が出来上った。今迄に父子の合作は一つ出来ていたが、今度ヴァイリマで一緒に暮らすようになってから、「退潮《エッブ・タイド》」なる新しい共同作品の計画が建てられた。
 
 四月になると、愈々《いよいよ》屋敷が出来上った。芝生とヒビスカスの花とに囲まれた・暗緑色の木造二階建、赤屋根の家は、ひどく土人達の眼を驚かせた。スティヴロン氏、或いはストレーヴン氏(彼の名を正確に発音できる土人は少かった)或いはツシタラ(物語の語り手を意味する土語)が、富豪であり、大酋長《だいしゅうちょう》であることは、最早疑いなきものと彼等には思われた。彼の豪壮(?)な邸宅の噂は、やがてカヌーに乗って、遠くフィジー、トンガ諸島あたり迄|喧伝《けんでん》された。

 やがて、スコットランドからスティヴンスンの老母が来て一緒に暮らすことになった。それと共に、ロイドの姉イソベル・ストロング夫人が長男のオースティンを連れてヴァイリマに合流した。
 スティヴンスンの健康は珍しく上乗で、伐木や乗馬にもさして疲れないようになった。原稿執筆は、毎朝決って五時間位。建築費に三千|磅《ポンド》も使った彼は、いやでも書《かき》捲《ま》くらざるを得なかった
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