うな日々の中で、歯を喰縛りながら、「パヴィリヨン・オン・ザ・リンクス」を書いたのだ。所が、今は、どうだ。既に私は、自分に出来るだけの仕事を果して了ったのではないか。それが記念碑として優れたものか、どうかは別として、私は、兎に角書けるだけのものを書きつくしたのではないか。無理に、――この執拗《しつよう》な咳と喘鳴と、関節の疼痛《とうつう》と、喀血《かっけつ》と、疲労との中で――生を引延ばすべき理由が何処にあるのだ。病気が行為への希求を絶って以来、人生とは、私にとって、文学でしかなくなった。文学を創《つく》ること。それは、歓びでもなく苦しみでもなく、それは、それとより言いようのないものである。従って、私の生活は幸福でも不幸でもなかった。私は蚕であった。蚕が、自らの幸、不幸に拘《かか》わらず、繭を結ばずにいられないように、私は、言葉の糸を以て物語の繭を結んだだけのことだ。さて、哀れな病める蚕は、漸《ようや》くその繭を作り終った。彼の生存には、最早、何の目的も無いではないか。「いや、ある。」と友人の一人が言った。「変形するのだ。蛾になって、繭を喰破って、飛出すのだ。」これは大変結構な譬喩《ひゆ》だ。しかし、問題は、私の精神にも肉体にも、繭を喰破るだけの力が残っているか、どうかである。

   十七

一八九四年九月×日
 昨日料理番のクロロが「義父《ちち》が他の酋長《しゅうちょう》達と一緒に、明日、何か御相談に上るそうです。」と言った。彼の義父、老ポエは、マターファ側の政治犯、我々を獄中のカヴァの宴に招いて呉れた酋長等の一人だ。彼等は先月の末、漸く釈放されたのである。ポエの入獄中は、私も相当面倒を見させられた。医者を獄中に向けてやったり、病気のためとて仮出獄の手続をしてやったり、再入獄の後は又保釈金を払ってやったりしたのである。
 今朝、ポエが他の八人の酋長と共にやって来た。彼等は喫煙室に入り、サモア流に車座になって蹲《しゃが》んだ。彼等の代表者が話し始めた。
「我々の在獄中ツシタラは一方ならぬ同情を我々に寄せられた。今や自分達も、やっと無条件で釈放された訳だが、何とかしてツシタラの厚情への謝意を表したいと、出獄後直ぐに皆で相談した。所で、我々より先に出獄した他の酋長等の中には、その釈放される時の条件として今尚、政府の道路工事に使われている者が随分いる。それを見て、我々もツ
前へ 次へ
全89ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング