男の中には常に火が燃えている。豊かな、激しい火が。その火はすぐにかたわらにいる者に移る。彼の言葉を聞いているうちに、自然にこちらも彼の信ずるとおりに信じないではいられなくなってくる。彼のかたわらにいるだけで、こちらまでが何か豊かな自信に充《み》ちてくる。彼は火種《ひだね》。世界は彼のために用意された薪《たきぎ》。世界は彼によって燃されるために在る。
我々にはなんの奇異もなく見える事柄も、悟空の眼から見ると、ことごとくすばらしい冒険の端緒だったり、彼の壮烈な活動を促《うなが》す機縁だったりする。もともと意味を有《も》った外《そと》の世界が彼の注意を惹《ひ》くというよりは、むしろ、彼のほうで外の世界に一つ一つ意味を与えていくように思われる。彼の内なる火が、外の世界に空《むな》しく冷えたまま眠っている火薬に、いちいち点火していくのである。探偵の眼をもってそれらを探し出すのではなく、詩人の心をもって(恐ろしく荒っぽい詩人だが)彼に触れるすべてを温《あたた》め、(ときに焦《こ》がす惧《おそ》れもないではない。)そこから種々な思いがけない芽を出させ、実を結ばせるのだ。だから、渠《かれ》・悟空《ご
前へ
次へ
全32ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング