ている姿は。
一《ひと》月ほど前、彼が翠雲《すいうん》山中で大いに牛魔《ぎゅうま》大王と戦ったときの姿は、いまだにはっきり[#「はっきり」に傍点]眼底に残っている。感嘆のあまり、俺《おれ》はそのときの戦闘経過を詳しく記録に取っておいたくらいだ。
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……牛魔王一匹の香※[#「けものへん+章」、第3水準1−87−80]《こうしょう》と変じ悠然《ゆうぜん》として草を喰《くら》いいたり。悟空《ごくう》これを悟り虎《とら》に変じ駈《か》け来たりて香※[#「けものへん+章」、第3水準1−87−80]を喰わんとす。牛魔王急に大豹《だいひょう》と化して虎を撃たんと飛びかかる。悟空これを見て※[#「けものへん+俊のつくり」、第3水準1−87−75]猊《からしし》となり大豹目がけて襲いかかれば、牛魔王、さらばと黄獅《きじし》に変じ霹靂《へきれき》のごとくに哮《ほえたけ》って※[#「けものへん+俊のつくり」、第3水準1−87−75]猊《からしし》を引裂かんとす。悟空このとき地上に転倒すと見えしが、ついに一匹の大象となる。鼻は長蛇《ちょうだ》のごとく牙《きば》は筍《たかんな》に似たり。牛魔王堪えかねて本相を顕《あら》わし、たちまち一匹の大|白牛《はくぎゅう》たり。頭は高峯《こうほう》のごとく眼は電光のごとく双角は両座の鉄塔に似たり。頭より尾に至る長さ千余丈、蹄《ひづめ》より背上に至る高さ八百丈。大音に呼ばわって曰《いわ》く、※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]《なんじ》悪猴《わるざる》今我をいかんとするや。悟空また同じく本相を顕《あら》わし、大喝《だいかつ》一声するよと見るまに、身の高さ一万丈、頭《かしら》は泰山《たいざん》に似て眼は日月のごとく、口はあたかも血池にひとし。奮然鉄棒を揮《ふる》って牛魔王を打つ。牛魔王|角《つの》をもってこれを受止め、両人半山の中にあってさんざんに戦いければ、まことに山も崩れ海も湧返《わきかえ》り、天地もこれがために反覆《はんぷく》するかと、すさまじかり。……
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なんという壮観だったろう! 俺《おれ》はホッと溜息《ためいき》を吐いた。そばから助太刀《すけだち》に出ようという気も起こらない。孫行者《そんぎょうじゃ》の負ける心配がないからというのではなく、一|幅《ぷく》の完全な名画の上にさらに拙《
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