り[#「ちらり」に傍点]と覗《のぞ》くことだ。「師父《しふ》に対する尊敬と、孫行者《そんぎょうじゃ》への畏怖《いふ》とがなかったら、俺はとっくにこんな辛《つら》い旅なんか止《や》めてしまっていたろう。」などと口では言っている癖に、実際はその享楽家的な外貌《がいぼう》の下に戦々兢々《せんせんきょうきょう》として薄氷《はくひょう》を履《ふ》むような思いの潜んでいることを、俺は確かに見抜いたのだ。いわば、天竺《てんじく》へのこの旅が、あの豚にとっても(俺にとってと同様)、幻滅と絶望との果てに、最後に縋《すが》り付いたただ一筋の糸に違いないと思われる節《ふし》が確かにあるのだ。だが、今は八戒の享楽主義の秘密への考察に耽《ふけ》っているわけにはいかぬ。とにかく、今のところ、俺は孫行者《そんぎょうじゃ》からあらゆるものを学び取らねばならぬのだ。他のことを顧みている暇はない。三蔵法師の智慧《ちえ》や八戒の生き方は、孫行者を卒業してからのことだ。まだまだ、俺は悟空《ごくう》からほとんど何ものをも学び取っておりはせぬ。流沙河《りゅうさが》の水を出てから、いったいどれほど進歩したか? 依然たる呉下《ごか》の旧阿蒙《きゅうあもう》ではないのか。この旅行における俺の役割にしたって、そうだ。平穏無事のときに悟空の行きすぎを引き留め、毎日の八戒の怠惰《たいだ》を戒《いまし》めること。それだけではないか。何も積極的な役割がないのだ。俺みたいな者は、いつどこの世に生まれても、結局は、調節者、忠告者、観測者にとどまるのだろうか。けっして行動者にはなれないのだろうか?
孫行者の行動を見るにつけ、俺は考えずにはいられない。「燃え盛る火は、みずからの燃えていることを知るまい。自分は燃えているな、などと考えているうちは、まだほんとうに燃えていないのだ。」と。悟空《ごくう》の闊達無碍《かったつむげ》の働きを見ながら俺《おれ》はいつも思う。「自由な行為とは、どうしてもそれをせずにはいられないもの[#「もの」に傍点]が内に熟してきて、おのずと外に現われる行為の謂《いい》だ。」と。ところで、俺はそれを思うだけなのだ。まだ一歩でも悟空についていけないのだ。学ぼう、学ぼうと思いながらも、悟空の雰囲気《ふんいき》の持つ桁違《けたちが》いの大きさに、また、悟空的なるものの肌合《はだあ》いの粗《あら》さに、恐れをなして近づ
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