僧があろう。西方|金蝉《きんせん》長老の転生《うまれかわり》、玄奘法師《げんじょうほうし》と、その二人の弟子どもじゃ。唐《とう》の太宗皇帝《たいそうこうてい》の綸命《りんめい》を受け、天竺国《てんじくこく》大雷音寺《だいらいおんじ》に大乗三蔵《だいじょうさんぞう》の真経《しんぎょう》をとらんとて赴《おもむ》くものじゃ。悟浄よ、爾《なんじ》も玄奘に従うて西方に赴《おもむ》け。これ爾にふさわしき位置《ところ》にして、また、爾にふさわしき勤めじゃ。途《みち》は苦しかろうが、よく、疑わずして、ただ努めよ。玄奘の弟子の一人に悟空《ごくう》なるものがある。無知無識にして、ただ、信じて疑わざるものじゃ。爾は特にこの者について学ぶところが多かろうぞ。」
 悟浄がふたたび頭をあげたとき、そこには何も見えなかった。渠《かれ》は茫然《ぼうぜん》と水底の月明の中に立ちつくした。妙な気持である。ぼんやりした頭の隅で、渠は次のようなことをとりとめ[#「とりとめ」に傍点]もなく考えていた。
「……そういうことが起こりそうな者に、そういうことが起こり、そういうことが起こりそうなときに、そういうことが起こるんだな。半年
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