したが。」
 悟浄の醜さを憐《あわ》れむような眼《め》つきをしながら、最後に※[#「魚+厥」、149−18]婆《けつば》はこうつけ加えた。
「徳とはね、楽しむことのできる能力のことですよ。」
 醜いがゆえに、毎年死んでいく百人の仲間に加わらないで済んだことを感謝しつつ、悟浄はなおも旅を続けた。

 賢人《けんじん》たちの説くところはあまりにもまちまちで、渠《かれ》はまったく何を信じていいやら解らなかった。
「我とはなんですか?」という渠の問いに対して、一人の賢者はこういった。「まず吼《ほ》えてみろ。ブウと鳴くようならお前は豚じゃ。ギャアと鳴くようなら鵝鳥《がちょう》じゃ」と。他の賢者はこう教えた。「自己とはなんぞやとむりに言い表わそうとさえしなければ、自己を知るのは比較的困難ではない」と。また、曰《いわ》く「眼は一切を見るが、みずからを見ることができない。我とは所詮《しょせん》、我の知る能《あた》わざるものだ」と。
 別の賢者は説いた、「我はいつも我だ。我の現在の意識の生ずる以前の・無限の時を通じて我といっていたものがあった。(それを誰も今は、記憶していないが)それがつまり今の我になっ
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