すらせ、深刻な顔つきで次のように言うた。
「世はなべて空《むな》しい。この世に何か一つでも善《よ》きことがあるか。もしありとせば、それは、この世の終わりがいずれは来るであろうことだけじゃ。別にむずかしい理窟《りくつ》を考えるまでもない。我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、懊悩《おうのう》、恐怖、幻滅、闘争、倦怠《けんたい》。まさに昏々昧々《こんこんまいまい》紛々若々《ふんぷんじゃくじゃく》として帰《き》するところを知らぬ。我々は現在という瞬間の上にだけ立って生きている。しかもその脚下の現在は、ただちに消えて過去となる。次の瞬間もまた次の瞬間もそのとおり。ちょうど崩れやすい砂の斜面に立つ旅人の足もとが一足ごとに崩れ去るようだ。我々はどこに安んじたらよいのだ。停《と》まろうとすれば倒れぬわけにいかぬゆえ、やむを得ず走り下り続けているのが我々の生じゃ。幸福だと? そんなものは空想の概念だけで、けっして、ある現実的な状態をいうものではない。果敢《はか》ない希望が、名前を得ただけのものじゃ。」
悟浄の不安げな面持ちを見て、これを慰めるように隠士《いんし》は付加えた。
「だが、若い者
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