』という約束のもとにみんな生きているらしいぞ。こういう約束がすでに在るのだとすれば、それをいまさら、解らない解らないと言って騒ぎ立てる俺は、なんという気の利《き》かない困りものだろう。まったく。」

       五

 のろま[#「のろま」に傍点]で愚図《ぐず》の悟浄《ごじょう》のことゆえ、翻然大悟《ほんぜんたいご》とか、大活現前《だいかつげんぜん》とかいった鮮《あざ》やかな芸当を見せることはできなかったが、徐々に、目に見えぬ変化が渠《かれ》の上に働いてきたようである。
 はじめ、それは賭《か》けをするような気持であった。一つの選択が許される場合、一つの途《みち》が永遠の泥濘《でいねい》であり、他の途が険《けわ》しくはあってもあるいは救われるかもしれぬのだとすれば、誰しもあとの途を選ぶにきまっている。それだのになぜ躊躇《ちゅうちょ》していたのか。そこで渠《かれ》ははじめて、自分の考え方の中にあった卑《いや》しい功利的なものに気づいた。嶮《けわ》しい途《みち》を選んで苦しみ抜いた揚句《あげく》に、さて結局救われないとなったら取返しのつかない損だ、という気持が知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、不精《ぶしょう》で愚かで卑しい俺《おれ》の気持だったのだ。女※[#「人べん+禹」、155−15]《じょう》氏のもとに滞在している間に、しかし、渠の気持も、しだいに一つの方向へ追詰められてきた。初めは追つめられたものが、しまいにはみずから進んで動き出すものに変わろうとしてきた。自分は今まで自己の幸福を求めてきたのではなく、世界の意味を尋ねてきたと自分では思っていたが、それはとんでもない間違いで、実は、そういう変わった形式のもとに、最も執念深く自己の幸福を探していたのだということが、悟浄に解《わか》りかけてきた。自分は、そんな世界の意味を云々《うんぬん》するほどたいした生きものでないことを、渠《かれ》は、卑下《ひげ》感をもってでなく、安らかな満足感をもって感じるようになった。そして、そんな生意気をいう前に、とにかく、自分でもまだ知らないでいるに違いない自己を試み展開してみようという勇気が出てきた。躊躇《ちゅうちょ》する前に試みよう。結果の成否は考えずに、ただ、試みるた
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