であり、愛することが創造《つく》ることである』ような瞬間をもつことができるでしょうから。」
その間も、師の蒲衣子《ほいし》は一言も口をきかず、鮮緑の孔雀石《くじゃくいし》を一つ掌《てのひら》にのせて、深い歓《よろこ》びを湛《たた》えた穏やかな眼差《まなざし》で、じっとそれを見つめていた。
悟浄は、この庵室に一《ひと》月ばかり滞在した。その間、渠《かれ》も彼らとともに自然詩人となって宇宙の調和を讃《たた》え、その最奥《さいおう》の生命に同化することを願うた。自分にとって場違いであるとは感じながらも、彼らの静かな幸福に惹《ひ》かれたためである。
弟子の中に、一人、異常に美しい少年がいた。肌《はだ》は白魚のように透《す》きとおり、黒瞳《こくとう》は夢見るように大きく見開かれ、額にかかる捲毛《まきげ》は鳩《はと》の胸毛のように柔らかであった。心に少しの憂いがあるときは、月の前を横ぎる薄雲ほどの微《かす》かな陰翳《かげ》が美しい顔にかかり、歓《よろこ》びのあるときは静かに澄んだ瞳《ひとみ》の奥が夜の宝石のように輝いた。師も朋輩《ほうばい》もこの少年を愛した。素直で、純粋で、この少年の心は疑うことを知らないのである。ただあまりに美しく、あまりにかぼそく、まるで何か貴い気体ででもできているようで、それがみんなに不安なものを感じさせていた。少年は、ひまさえあれば、白い石の上に淡飴色《うすあめいろ》の蜂蜜《はちみつ》を垂らして、それでひるがお[#「ひるがお」に傍点]の花を画《か》いていた。
悟浄《ごじょう》がこの庵室《あんしつ》を去る四、五日前のこと、少年は朝、庵《いおり》を出たっきりでもどって来なかった。彼といっしょに出ていった一人の弟子は不思議な報告をした。自分が油断をしているひまに、少年はひょい[#「ひょい」に傍点]と水に溶けてしまったのだ、自分は確かにそれを見た、と。他の弟子たちはそんなばかなことがと笑ったが、師の蒲衣子《ほいし》はまじめにそれをうべなった。そうかもしれぬ、あの児《こ》ならそんなことも起こるかもしれぬ、あまりに純粋だったから、と。
悟浄は、自分を取って喰《く》おうとした鯰《なまず》の妖怪《ばけもの》の逞《たくま》しさと、水に溶け去った少年の美しさとを、並べて考えながら、蒲衣子のもとを辞した。
蒲衣子の次に、渠《かれ》は斑衣※[#「魚+厥」、148
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