羹《ようかん》色の縁の、ペロリと垂れた中折を阿弥陀《あみだ》にかぶった下に、大きなロイド眼鏡――それも片方の弦《つる》が無くて、紐《ひも》がその代用をしている――を光らせ、汚点《しみ》だらけの詰襟服はボタンが二つも取れている。薄汚ない長い顔には、白く乾いた脣のまわりに疎《まば》らな無精髭《ぶしょうひげ》がしょぼしょぼ[#「しょぼしょぼ」に傍点]生えて、それが間の抜けた表情を与えてはいるが、しかし、又、其の、間の迫った眉のあたりには、何かしら油断の出来ない感じをさせるものがあるようだ。いって見れば、田舎者の顔と、掏摸《すり》の顔とを一緒にしたような顔付だ。歩いて来た私は、五六間も先《さき》から、すでに、群集の中に、この長すぎる身体をもてあましているような異様な風体の男を発見して、それに眼を注いでいた。すると、向うもどうやら私の方を見ていたらしかったが、私がその一間ほど手前に来た時、その男の、心持しかめていた眉の間から、何か一寸《ちょっと》した表情の和《やわ》らぎといった風のものがあらわれた。そして、その、目に見えない位の微《かす》かな和らぎが忽ち顔中に拡がったと思うと、急に彼の眼が(勿論
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