虫の、そして内地人ではない、半島人の、彼を見せてくれたことが、私に満足を与えたのだった。私達はそうして暫く寒い河原に立ったまま、月に照らされた、対岸の龍山から毒村県《とくそんけん》や清凉里《せいりょうり》へかけての白々とした夜景を眺めていた。…………
此の露営の夜の出来事のほかには、彼について思い出すことといっては別に無い。というのは、それから間もなく(まだ私達が四年にならない前に)彼は突然、全く突然、私にさえ一言の予告も与えないで、学校から姿を消して了ったからだ。いうまでもなく、私はすぐに彼の家へたずねて見た。彼の家族は勿論そこにいた。ただ彼だけがいないのだ。支那《しな》の方へ一寸《ちょっと》行ったから、という彼の父親の不完全な日本語の返事の外には、何の手掛りも得られなかった。私は全く腹を立てた。前に何とか一言《ひとこと》ぐらい挨拶があってもいい筈なのだ。私は、彼の失踪の原因を色々と考えて見ようとしたが、無駄だった。あの露営の晩の出来事が直接の動機となったのだろうか。あのことだけで、学校を廃《や》めるほどの理由になろうとも思えなかったが、やはり幾分は関係があるような気もした。そう考
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