の前におり立った時、黒い空から雪の上を撫《な》でてくる風が、思わず私達の頸をちぢめさせた。駅の前にも一向人家らしいものはない。吹晒《ふきさら》しの野原の向うに、月のない星空を黒々と山らしいものの影が聳《そび》えているだけだ。一本道を二三町も行った所で、私達は右手にポツンと一軒立っていた低い朝鮮家屋の前に立止った。戸を叩くと、直ぐに中から開いて、黄色い光が雪の上に流れた。みんながはいったので、私も低い入口から背をこごめて這入《はい》った。家の中は全部油紙を敷詰めた温突《オンドル》になっていて、急に温い気がむっ[#「むっ」に傍点]と襲った。中には七八人の朝鮮人が煙草を吸いながら話し合っていたが、此方を向くと一斉に挨拶をした。と、その中から、此の家の主人らしい赤髯《あかひげ》の男が出て来て、暫く趙の父親と何やら話をしてから、奥へ引込んだ。話は前からしてあったと見えて、やがてお茶を一杯飲むと、二人の本職の猟師と、五六人の勢子《せこ》が――猟師と勢子とは同じような恰好《かっこう》をしていて、見分け難いのだが、私は趙の注意によって、彼等の持っている銃の大小でそれを区別することが出来た――私達について表へ出た。表には犬も四匹ほど待っていた。
雪明りの狭い田舎道を半里ばかり行くと、道は漸《ようや》く山にさしかかって来る。疎林の間を、まだ新しい雪を藁靴《わらぐつ》でキュッキュッと踏みしめながら勢子達が真先に登って行く。その前になったり後になったりしながら、犬が――雪明りで毛色ははっきり判らないが、あまり大型でない――脇道をしては、方々の木の根や岩角の匂を嗅ぎ嗅ぎ小走りに走って行く。私達はそれから少し遅れて一かたまりになり、彼等の足跡の上を踏んで行く。今にも横から虎がとび出してきはしまいか、後からかかって来たらどうしよう、などと胸をどきどきさせながら、私は、もう趙とも余り話をせずに黙って歩き続けた。上《のぼ》るに従って道は次第にひどくなる。しまいには、道がなくなって、尖《とが》った木の根や、突出た岩角を越えて上って行くのだ。寒さはひどい。鼻の中が凍って、突張ってくる。頭巾をかぶり耳には毛皮を当てているのだが、やはり耳がちぎれそうに痛む。風が時々樹梢を鳴らす度に一々はっ[#「はっ」に傍点]とする。見上げると、疎《まば》らな裸木の枝の間から星が鮮かに光っている。こうした山道が凡《およ》そ
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