えると、いよいよ、例の、彼の言った「強い、弱い」云々《うんぬん》の言葉が意味のあるものに思われてくるのだった。
やがて、彼に関する色々な噂《うわさ》が伝わって来た。彼がある種の運動の一味に加わって活躍しているという噂を一しきり私は聞いた。次には、彼が上海《しゃんはい》に行って身を持崩しているというような話も――これはやや後になってではあるが――聞いた。その何《いず》れもがあり得ることに思えたし、又同時に、両方とも根の無いことのように考えられもした。斯《こ》うして、中学を終えると直ぐに東京へ出て了った私は、其の後、杳《よう》として彼の消息を聞かないのだ。
六
虎狩の話をするなどと称しながら、どうやら少し先走りしすぎたようだ。さて、ここらで、愈々《いよいよ》本題に戻らねばならぬ。で、この虎狩の話というのは、前にも述べたように、趙が行方をくらます二年程前の正月、つまり私と趙とが、例の、目の切れの長く美しい小学校の時の副級長を忘れるともなく次第に忘れて行こうとしていた頃のことだ。
ある日学校が終って、いつもの様に趙と二人で電車の停留所まで来ると、彼は私に、いい話があるから次の停留所まで歩こうと言った。そうして、その時、歩きながら、私に虎狩に行きたくないかと言い出した。今度の土曜日に彼の父親が虎狩に行くのだが、その折、彼も連れて行って貰うことになっているという。で、私なら、かねて名前も言ってあるので、彼の父親も許すに違いないから、一緒に行こうじゃないか、というのだ。私は、虎狩などということは今迄まるで考えて見たことがなかっただけに、その時|暫《しばら》く、驚いたような、彼の言葉が真実であるかどうかを疑うような眼付で彼を見返したものらしい。まったく、虎などという代物が、動物園か子供雑誌の挿絵以外に、自分の間近に、現実に――しかも自分が承知しさえすれば、ここ三四日の中に――現れてこようなどとは、それこそ夢にも考えられなかったからだ。で、私は先ず、彼が私をかつごうとしているのではないことを、再三、――彼がやや機嫌を悪くしたくらい――確かめてから、さて、其《そ》の場所や、同勢や費用などを尋ねたのだった。そうして、その揚句《あげく》、彼の父親が承知したら、――というよりも、是非頼むから、無理にも連れて行って貰いたいと、私が言出したのは言うまでもない。趙の父親は元
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