うに響いた。
――生意気だぞ。貴様!
それと共に、明らかにピシャリと平手打の音が、そして次に銃が砂の上に倒れるらしい音と、更にまた激しく身体を突いたような鈍い音が二三度、それに続いて聞えた。私は咄嗟《とっさ》に凡《すべ》てを諒解した。私には悪い予感があったのだ。ふだんから憎まれている趙のことではあり、それに昼間のような出来事があったりしたので、或いは今夜のような機会にやられるのではないかと、宵の中から私はそんな気がしていた。それが今、ほんとうに行われたらしいのだ。私は天幕《テント》の中で身を起したが、どうする訳にも行かず、ただ胸をとどろかしたまま、暫くじっ[#「じっ」に傍点]と外の様子を窺《うかが》っていた。(外《ほか》の友人達は皆よく眠っていた。)やがて外は、二三人の立去る気配がしたあとはしいん[#「しいん」に傍点]とした静けさにもどった。私は身仕舞をして、そっと天幕を出て見た。外は思いがけなく真白な月夜だった。そうしてテントから二|間《けん》ほど離れた所に、月に照らされた真白な砂原の上に、ポツンと黒く、小さな犬か何かのように一人の少年がしゃがんだまま、じっ[#「じっ」に傍点]と顔を俯《ふ》せて動かないでいる。銃は側の砂の上に倒れ、その剣尖《けんさき》がきらきらと月に光っていた。私は傍に行って彼を見下したまま「Nか?」と訊ねた。Nというのは昼間彼といさかいをした五年生の名前だった。趙は、しかし、下を向いたまま、それに答えなかった。しばらくして、突然、ワッという声を立てて身体を冷たい砂の上に投出すと、背中をふるわせながら、おうおうと声をあげて赤ん坊のように泣き始めた。私はびっくりした。十|米《メートル》ほど距てて、隣の天幕の歩哨も見ているのだ。が、趙の、この、平生に似ない真率《しんそつ》な慟哭《どうこく》が私を動かした。私は彼を扶《たす》け起そうとした。彼は仲々起きなかった。やっと抱起すと、他の天幕の歩哨達に見られたくない心遣いから、彼を引張って流れの近くへ連れて行った。十八九日あたりの月がラグビイの球に似た恰好をして寒空に冴えていた。真白な砂原の上には三角形の天幕がずらりと立並び、その天幕の外には、いずれも七八つずつ銃剣が組合わされて立っている。歩哨達は真白な息を吐きながら、冷たそうに銃の台尻を支えて立っている。私達はそれらの天幕の群から離れて漢江の本流の方へ
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