匹の虎が、どうしても私には本物の虎のような気がしなくて、脅《おびやか》された当の巡査自身のように、サアベルを提《さ》げ長靴でもはき、ぴんと張った八字|髭《ひげ》でも撫上げながら、「オイ、コラ」とか何とか言いそうな、稚気満々たるお伽話《とぎばなし》の国の虎のように思えてならなかったのだ。

       二

 さて、虎狩の話の前に、一人の友達のことを話して置かねばならぬ。その友達の名は趙大煥といった。名前で分るとおり、彼は半島人だった。彼の母親は内地人だと皆が云っていた。私はそれを彼の口から親しく聞いたような気もするが、或いは私自身が自分で勝手にそう考えて、きめこんでいただけかも知れぬ。あれだけ親しく付合っていながら、ついぞ私は彼のお母さんを見たことがなかった。兎《と》に角《かく》、彼は日本語が非常に巧《たく》みだった。それに、よく小説などを読んでいたので、植民地あたりの日本の少年達が聞いたこともないような江戸前の言葉さえ知っていた位だ。で、一見して彼を半島人と見破ることは誰にも出来なかった。趙と私とは小学校の五年の時から友達だった。その五年の二学期に私が内地から龍山の小学校へ転校して行ったのだ。父親の仕事の都合か何かで幼い時に度々《たびたび》学校をかわったことのある人は覚えているだろう。ちがった学校へはいった初めの中《うち》ほど厭《いや》なものはない。ちがった習慣、ちがった規則、ちがった発音、ちがった読本の読み方。それに理由もなく新来者を苛《いじ》めようとする意地の悪い沢山の眼。全く何一つするにも笑われはしまいかと、おどおどするような萎縮した気持に追い立てられてしまう。龍山の小学校へ転校してから二三日|経《た》ったある日、その日も読方の時間に、「児島高徳」のところで、桜の木に書きつけた詩の文句を私が読み始めると、皆がどっと笑い出してしまった。赧《あか》くなりながら一生懸命に読み直せば読み直すほど、みんなは笑いくずれる。しまいには教師までが口のあたりに薄笑いを浮かべる始末だ。私はすっかり厭な気持になって了《しま》って、その時間が終ると大急ぎで教室を抜け出し、まだ一人も友達のいない運動場の隅っこに立ったまま、泣出したい気持でしょんぼり空を眺めた。今でも覚えているが、その日は猛烈な砂埃《すなぼこり》が深い霧のようにあたりに立罩《たちこ》め、太陽はそのうす濁った砂の霧の奥
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