シャクが考へてしやべつてゐるのではないかと。
成程、さう言へば、普通憑きもののした人間は、もつと恍惚とした忘我の状態でしやべるものである。シャクの態度には餘り狂氣じみた所がないし、其の話は條理が立ち過ぎてゐる。少し變《へん》だぞ、といふ者がふえて來た。
シャク自身にしても、自分の近頃してゐる事柄の意味を知つてはゐない。勿論、普通の所謂|憑《つ》きものと違ふらしいことは、シャクも氣がついてゐる。しかし、何故自分は斯んな奇妙な仕草を幾月にも亙つて續けて、猶、倦まないのか、自分でも解らぬ故、やはり之は一種の憑きものの所爲と考へていいのではないかと思つてゐる。初めは確かに、弟の死を悲しみ、其の首や手の行方を憤ろしく思ひ畫いてゐる中に、つい、妙なことを口走つて了つたのだ。之は彼の作爲でないと言へる。しかし、之が元來空想的な傾向を有《も》つシャクに、自己の想像を以て自分以外のものに乘り移ることの面白さを教へた。次第に聽衆が増し、彼等の表情が、自分の物語の一弛一張につれて、或ひは安堵の・或ひは恐怖の・僞ならぬ色を浮べるのを見るにつけ、此の面白さは抑へ切れぬものとなつた。空想物語の構成は日を逐うて巧みになる。想像による情景描冩は益々生彩を加へて來る。自分でも意外な位、色々な場面が鮮かに且つ微細に、想像の中に浮び上つて來るのである。彼は驚きながら、やはり之は何か或る憑《つ》きものが自分に憑《つ》いてゐるのだと思はない譯に行かない。但し、斯うして次から次へと故知らず生《う》み出されて來る言葉共を後々《のちのち》迄も傳へるべき文字といふ道具があつてもいい筈だといふことに、彼は未だ思ひ到らない。今、自分の演じてゐる役割が、後世どんな名前で呼ばれるかといふことも、勿論知る筈がない。
シャクの物語がどうやら彼の作爲らしいと思はれ出してからも、聽衆は決して減らなかつた。却つて彼に向つて次々に新しい話を作ることを求めた。それがシャクの作り話だとしても、生來凡庸なあのシャクに、あんな素晴らしい話を作らせるものは確かに憑きものに違ひないと、彼等も亦作者自身と同樣の考へ方をした。憑きもののしてゐない彼等には、實際に見もしない事柄に就いて、あんなに詳しく述べることなど、思ひも寄らぬからである。湖畔の岩陰や、近くの森の樅の木の下や、或ひは、山羊の皮をぶら下げたシャクの家の戸口の所などで、彼等はシャクを半圓にとり圍んで座りながら、彼の話を樂しんだ。北方の山地に住む三十人の剽盗の話や、森の夜の怪物の話や、草原の若い牡牛の話などを。
若い者達がシャクの話に聞き惚れて仕事を怠るのを見て、部落の長老連が苦《にが》い顏をした。彼等の一人が言つた。シャクのやうな男が出たのは不吉の兆である。もし憑きものだとすれば、斯んな奇妙な憑きものは前代未聞だし、もし憑きものでないとすれば、斯んな途方もない出鱈目を次から次へと思ひつく氣違ひは未だ曾て見たことがない。いづれにしても、こんな奴が飛出したことは、何か自然に悖《もと》る不吉なことだと。此の長老が偶々、家の印として豹の爪を有《も》つ・最も有力な家柄の者だつたので、この老人の説は全長老の支持する所となつた。彼等は祕かにシャクの排斥を企《たくら》んだ。
シャクの物語は、周圍の人間社會に材料を採ることが次第に多くなつた。何時迄も鷹や牡牛の話では聽衆が満足しなくなつて來たからである。シャクは、美しく若い男女の物語や、吝嗇で嫉妬深い老婆の話や、他人には威張つてゐても老妻にだけは頭の上がらぬ酋長の話をするやうになつた。脱毛期の禿鷹の樣な頭をしてゐるくせに若い者と美しい娘を張合つて慘めに敗れた老人の話をした時、聽衆がドツと笑つた。餘り笑ふので其の譯を訊《たづ》ねると、シャクの排斥を發議した例の長老が最近それと同じ樣な慘めな經驗をしたといふ評判だからだ、と言つた。
長老は愈々腹を立てた。白蛇のやうな奸智を絞つて、彼は計をめぐらした。最近に妻を寢取られた一人の男が此の企に加はつた。シャクが自分にあてこする樣な話をしたと信じたからである。二人は百方手を盡くして、シャクが常に部落民としての義務を怠つてゐることに、みんなの注意を向けようとした。シャクは釣をしない。シャクは馬の世話をしない。シャクは森の木を伐らない。獺《かはうそ》の皮を剥がない。ずつと以前、北の山々から鋭い風が鵝毛の樣な雪片を運んで來て以來、誰か、シャクが村の仕事をするのを見た者があるか?
人々は、成程さうだと思つた。實際、シャクは何もしなかつたから。冬籠りに必要な品々を頒《わ》け合ふ時になつて、人々は特に、はつきりと、それを感じた。最も熱心なシャクの聞き手までが。それでも、人々はシャクの話の面白さに惹かれてゐたので、働かないシャクにも不承無承《ふしやうぶしやう》冬の食物を頒け與へた。
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