表現は奇峭であり、晦渋である。『凧刻んで夜の壁に描き得た我が霊妙なる壁画を瞬く間に擾して、越後獅子の譜の影は蠅になって舞踏する。蚯蚓も輪に刎ね蚰蜒《ゲジゲジ》は反って踊る。』(隣の糸)なぞという文章にあっては、全くはじめての人は面喰うであろう。この表現の奇矯という点に於て、氏はまた後の大正時代になって現われた新感覚派なるものと一脈相通ずる所がある。大体、新感覚派といっても、その狙う所は「外界の刺戟を感受する方法の新しさ」というよりは、むしろ、「その感覚の表現法の新しさ」にあるように思われる。単に感覚の清新という点から見れば、文学史を遥かに遡って、「削り氷にあまづら入れて、新しき鋺に入れたる。水晶の数珠・藤の花・梅の花に雪の降りかゝりたる。いみじう美しき稚児の覆盆子など喰ひたる。」を「あてなる物」と見た枕草子の作者なぞも、立派な新感覚派だと思う。雑誌「文芸時代」に拠った新感覚派は、むしろ奇矯なる表現のみを重視していた。事実的には、表現法に努力することによって、逆に、そのもと[#「もと」に丸傍点]となるべき感覚の尖鋭化への修練が積まれて行ったようである。
「雄蘂の弓が新月のように青空へ矢を
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