るのである。ここに、氏の作品の近代的小説でない所以があり、又それが永遠に新しい魅力を有つ所以もある。
 鏡花氏こそは、まことに言葉の魔術師。感情装飾の幻術者。「芥子粒を林檎のごとく見すという欺罔《けれん》の器」と「波羅葦僧《はらいそ》の空をも覗く、伸び縮む奇なる眼鏡」とを持った奇怪な妖術師である。氏の芸術は一箇の麻酔剤であり、阿片であるともいえよう。
 事実、氏の芸術境は、日本文学中にあって特異なものであるばかりでなく、又世界文学中に於てもユニイクなものと言えるであろう。その神秘性に於て、ポオ(彼の科学性は全くなしとするも)にまさり、その縹渺たる情趣に於てはるかにホフマンを凌ぐものがあると考えるのは単なる私の思いすごしであろうか。空想的なるものの中の、最も空想的なもの、浪漫的なるものの中の、最も浪漫的なもの、情緒的(勿論日本的な)ものの中で、最も情緒的なもの、――それらが相寄り相集って、ここに幽艶・怪奇を極めた鏡花世界なるものを造り出す。其処では醜悪な現実はすべて、氏の奔放な空想の前に姿をひそめて、ただ、氏一箇の審美眼、もしくは正義観に照らされて、「美」あるいは「正」と思われるもののみ
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