轤ゥである。
 総じてポナペには顔立の整った島民が多いようだ。他のカロリン人と違って、檳榔子《びんろうず》を噛む習慣が無く、シャカオと称する一種の酒の如きものを嗜《たしな》む。これはポリネシヤのカヴァと同種のものらしいから、あるいは、此処《ここ》の島民にはポリネシヤ人の血でも多少はいっているのかも知れぬ。
 椰子の根元に立った二人の幼児は、島民らしくない小綺麗《こぎれい》な服を着ている。彼らと話を始めようとしたのだが、生憎《あいにく》、コンニチハの外、何にも日本語を知らないのである。島民語だって、まだ怪しいものだ。二人ともニコニコしながら何度もコンニチハと言って頭を下げるだけだ。
 その中に、家の中から若い女が出て来て挨拶した。子供らに似ている所から見れば、母親だろう。余り達者でない・公学校式の角張った日本語で、ウチヘハイッテ、休ンデクダサイと言う。ちょうど咽喉《のど》が涸《かわ》いていたので、椰子水でも貰おうかと、豚の逃亡を防ぐための柵を乗越して裏から家の庭にはいった。
 恐ろしく動物の沢山いる家だ。犬が十頭近く、豚もそれ位、その外、猫だの山羊だの鶏だの家鴨《あひる》だのが、ゴチャゴチャしている。相当に富裕なのであろう。家は汚いが、かなり広い。家の裏からすぐ海に向って、大きな独木舟《カヌー》がしまってあり、その周囲に雑然と鍋・釜・トランク・鏡・椰子殻・貝殻などが散らかっている。その間を、猫と犬と鶏とが(山羊と豚だけは上って来ないが)床の上まで踏み込んで来て、走り、叫び、吠え、漁り、あるいは寝ころがっている。大変な乱雑さである。
 椰子水と石焼の麺麭《パン》の実を運んで来た。椰子水を飲んでから、殻を割って中のコプラを喰べていると、犬が寄って来てねだる[#「ねだる」に傍点]。コプラがひどく好きらしい。麺麭の実は幾ら与えても見向きもしない。犬ばかりでなく、鶏どももコプラは好物のようである。その若い女のたどたどしい日本語の説明を聞くと、この家の動物どもの中で一番威張っているのはやはり犬だそうだ。犬がいない時は豚が威張り、その次は山羊だという。バナナも出してくれたが、熟し過ぎていて、餡《あんこ》を嘗《な》めているような気がした。ラカタンとてこの島のバナナの中では最上種の由。
 独木舟《カヌー》の置いてある室の奥に、一段|床《ゆか》を高くした部屋があり、其処《そこ》に家族らが蹲《うずくま》ったり、寝そべったりしているらしい。明り取りが無くて薄暗いので、隅の方は良く判らないが、此方から見る正面には、一人の老婆が傲然《ごうぜん》と――誠に女王の如く傲然と踞坐《こざ》して煙草を吸っている。そうして、外からの侵入者に警戒するような・幾分敵意を含んだ目で、私の方を凝乎《じっ》と見ている様子である。あれは誰だと、若い女に聞けば、ワタシノダンナサン[#「ダンナサン」に傍点]ノオ母サンと答えた。威張っているね、と言うと、一番エライカラと言う。
 その薄暗い奥から、十歳ばかりの痩せた女の子が、時々独木舟の向う側まで出て来ては、口をポカンとあけて此方を覗《のぞ》く。この家の者は皆きちん[#「きちん」に傍点]とした服装《なり》をしているのに、この子だけはほとんど裸体である。色が気味悪く白く、絶えず舌を出して赤ん坊の様にベロベロ音を立て、涎《よだれ》を垂れ、意味も無く手を振り足を摺《す》る。白痴なのであろう。奥から、女王然たる老婆が喫煙を止めて、何か叱る。烈しい調子である。手に何か白いきれを持ち、それを振って白痴の子を呼んでいる。女の子が側へ戻って行くと、怖い顔をしながら、それをはかせた。パンツだったのである。「あの児、病気か?」と私がまた若い女に聞く。頭ガワルイという返辞である。「生れた時からか?」「イイヤ、生レタトキハ良カッタ。」
 大変愛想のいい女で、私がバナナを喰べ終ると、犬を喰わぬかと言う。「犬?」と聞き返す。「犬」と、女はその辺に遊んでいる・痩せた・毛の抜けかかった・茶色の小犬を指す。一時間もかかれば出来るから、あれを石焼にして馳走しようというのだ。一匹まる[#「まる」に傍点]のまま、芭蕉の葉か何かに包み、熱い石と砂の中に埋めて蒸焼にするのである。腸《はらわた》だけ抜いた犬が、そのまま、足を突張らせ歯をむき出して膳の上に上《のぼ》されるのだという。
 ほうほうの態で私は退却した。
 出がけに見ると、家の入口の左右に、黄と紅と紫との鮮やかなクロトンの乱れ葉が美しく簇《むらが》っていた。


       ※[#ローマ数字4、1−13−24]
[#地から5字上げ]トラック

 月曜島には、公学校校長の家族の外に内地人はいない。
 朝、校長の官舎で食事をしていると、遠くから歌声が聞えて来る。愛国行進曲だ。多くの子供らの声とすぐに分った。声がだんだん近付いて来る。あれは何ですと聞けば、同じ方面の生徒らは一緒に登校させるのだが、その連中が、合唱しながらやって来るのだという。声は官舎の近くまで来ると、やんだ。途端に、トマレ! という号令が掛かる。玄関から外を見ると二十人ほどの島民児童がちゃんと二列に縦隊を作ってやって来ているのだ。先頭の一人は紙の日の丸を肩にかついでいる。その旗手が、再び、ヒダリ向ケヒダリ! と号令をかけた。一同が校長の家に向って横隊になる。と、一斉に、オハヨウゴザイマスと言いながら頭を下げた。それから、また、先頭の腫物《はれもの》だらけの旗手が、ミギ向ケミギ! 前ヘススメ! をかけて、一行は、愛国行進曲の続きを唱いながら、官舎の隣の学校の方へと曲って行く。官舎の庭には垣根が無いので、彼らの行進が良く見える。背丈が(恐らく年齢も)恐ろしく不揃いで、先頭には大変大きいのがいるが、後の方はひどく小さい。夏島あたりと違って余り整ったなりをしている者は無い。みんな、シャツを着ているとはいうものの、破れている部分の方が繋がっている部分より多そうなので、男の子も女の子も真黒な肌が到る所から覗いている。足はもちろん全部|跣足《はだし》。学校から給与されるのか、感心に鞄だけは掛けているようだ。てんでに、椰子《ヤシ》の果《み》の外皮を剥《む》いたものを腰にさげているのは、飲料なのである。それらのおんぼろ[#「おんぼろ」に傍点]をぶら下げた連中が、それぞれ足を思い切り高く上げ手を大きく振りつつ、あらん限りの声を張上げて(校長官舎の庭にさし掛かると、また一段と声が大きくなったようだ)朝の椰子影の長く曳《ひ》いた運動場へと行進して行くのは、なかなかに微笑《ほほえ》ましい眺めであった。
 その朝は、他に二組同じような行進が挨拶に来た。

 夏島で見た各離島の踊の中では、ローソップ島の竹踊《クーサーサ》が最も目覚ましかった。三十人ばかりの男が、互いに向いあった二列の環《わ》を作り、各人両手に一本ずつ三尺足らずの竹の棒を持って、これを打合わせつつ踊るのである。あるいは地を叩き、あるいは対者の竹を打ち、エイサッサ、エイサッサと景気のいい掛声をかけつつ、廻《めぐ》り廻って踊る。外の環と内の環とが入違いに廻るので、互いに竹を打合わせる相手が順次に変って行く訳だ。時に、後向きになり片脚を上げて股《また》の間から背後の者の竹を打つなど、なかなか曲芸的な所も見せる。撃剣の竹刀《しない》の撃合《うちあ》うような音と、威勢のいい掛声とが入り交って、如何《いか》にも爽やかな感じである。
 北西離島のものは、皆、仏桑華《ぶっそうげ》や印度素馨《インドそけい》の花輪を頭に付け、額と頬に朱黄色の顔料《タイク》を塗り、手頸足頸腕などに椰子《ヤシ》の若芽を捲《ま》き付け、同じく椰子の若芽で作った腰簑《こしみの》を揺すぶりながら踊るのである。中には耳朶《みみたぶ》に孔《あな》を穿《うが》ち、そこへ仏桑華の花を挿した者もある。右手の甲に、椰子若芽を十字形に組合せたものを軽く結び付け、最初、各人が指を細かく顫《ふる》わせて、これを動かす。すると、たちまち遠くの風のざわめきのような微妙な音が起る。これが合図で踊が始まる。そうして、掌で以て胸や腕のあたりを叩いてパンパンという烈しい音を立て、腰をひねり奇声を発しつつ、多分に性的な身振を交えて踊り狂うのである。
 歌の中でも、踊を伴わないものは、全部といって良い位、憂鬱《ゆううつ》な旋律ばかりであった。その題名にも、すこぶるおかしなものが多い。その一例。シュック島の歌。「他人《ひと》の妻のことを思わず、己《おの》が妻のことを考えましょう。」

 夏島の街で見た或る離島人の耳。幼時から耳朶を伸ばし伸ばしした結果らしく、一尺五寸ばかりも紐《ひも》のように長く伸びている。それを、鎖でも捲くように、耳殻《じかく》に三廻《みまわり》ほど巻いて引掛けている。そういう耳をしたのが四人並んで、すまして洋品店の飾窓を覗いていた。
 その離島へ行ったことのある某氏に聞くと、彼らは普通の耳をもった人間を見ると嗤《わら》うそうである。顎《あご》の無い人間でも見たかのように。
 また、こういう島々に永くいると、美の規準について、多分に懐疑的になるそうだ。ヴォルテエル曰く、「蟾蜍《ひきがえる》に向って、美とは何ぞやと尋ねて見よ。蟾蜍は答えるに違いない。美とは、小さい頭から突出《つきで》た大きな二つの団栗眼《どんぐりまなこ》と、広い平べったい口と、黄色い腹と褐色の背中とを有《も》つ雌蟾蜍の謂《いい》だと。」云々《うんぬん》。


       ※[#ローマ数字5、1−13−25]
[#地から5字上げ]ロタ

 断崖の白い・水の豊かな・非常に蝶の多い島。静かな昼間、人のいない官舎の裏に南瓜《カボチャ》の蔓《つる》が伸び、その黄色い花に、天鵞絨《ビロード》めいた濃紺色の蝶々どもが群がっている。

 島民の姿の見えないソンソンの夜の通りは、内地の田舎町のような感じだ。電燈の暗い床屋の店。何処からか聞えて来る蓄音機の浪花節《なにわぶし》。わびしげな活動小屋に「黒田誠忠録」がかかっている。切符売の女の窶《やつ》れた顔。小舎の前にしゃがんでトーキイの音だけ聞いている男二人。幟《のぼり》が二本、夜の海風にはためいている。

 タタッチョ部落の入口、海から三十間と離れない所に、チャモロ族の墓地がある。十字架の群の中に、一基の石碑が目につく。バルトロメス・庄司光延之墓と刻まれ、裏には昭和十四年歿九歳とあった。日本人にして加特力《カトリック》教徒だった者の子供なのであろう。周囲の十字架に掛けられた花輪どもはことごとく褐色に枯れ凋《しぼ》み、海風にざわめく枯|椰子《ヤシ》の葉のそよぎも哀しい。(ロタ島の椰子樹は最近虫害のためにほとんど皆枯れてしまった。)目に沁みるばかり鮮やかな海の青を近くに見、濤《なみ》の音の古い嘆きを聞いている中に、私は、ひょいと能の「隅田川」を思い浮かべた。母なる狂女に呼ばれて幼い死児の亡霊が塚の後からチョコチョコ白い姿を現すが、母がとらえようとすると、またフッと隠れてしまうあの場面を。
 あとで公学校の島民教員補に聞くと、この子の両親(経師屋《きょうじや》だったそうだ)は子供に死なれてから間もなくこの地を立去ったということである。

 宿舎としてあてがわれた家の入口に、珍しく茘枝《れいし》の蔓がからみ実が熟してはぜて[#「はぜて」に傍点]いる。裏にはレモンの花が匂う。門外橘花猶的※[#「白+樂」、第3水準1−88−69]、牆頭茘子已※[#「文+瀾のつくり」、248−7]斑、というのは蘇東坡《そとうば》(彼は南方へ流された)だが、ちょうどそっくりそのままの情景である。但し、昔の支那《シナ》人のいう茘枝と我々の呼ぶ茘枝と、同じものかどうか、それは知らない。そういえば、南洋到る所にある・赤や黄の鮮やかなヒビスカスは、一般に仏桑華《ぶっそうげ》といわれているが、王漁洋の「広州竹枝」に、仏桑華下小廻廊云々とある、それと同じものかどうか。広東《カントン》あたりなら、この派手な花も大いにふさわしそうな気がするが。


       ※[#ローマ数字6、1−13−26]
[#地から5字上げ
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング