nサイパン

 日曜の夕方。
 鳳凰樹《ほうおうじゅ》の茂みの向うから、疳高《かんだか》い――それでいて何処《どこ》か押し潰《つぶ》されたような所のある――チャモロ女の合唱の声が響いて来る。スペインの尼さんの所の礼拝堂から洩れてくる夕べの讃美歌である。

 夜。月が明るい。道が白い。何処やらで単調な琉球蛇皮線《りゅうきゅうじゃびせん》の音がする。ブラブラと白い道を歩いて見た。バナナの大きな葉が風にそよいでいる。合歓《ねむ》の葉が細かい影をハッキリ道に落している。空地に繋《つな》がれた牛が、まだ草を喰っている様子である。何か夢幻的なものが漂い、この白い径《みち》が月光の下を何処までも続いているような気がする。ベコンベコンという間ののびた蛇皮線の音は相変らず聞えるが、何処の家で鳴らしているのか、一向に判らぬ。その中に、歩いていた細い径が、急に明るい通りに出てしまった。
 出た角の所に劇場があって、その中から頻《しき》りに蛇皮線の音が響いて来る。(だが、これは、先刻から私の聞いて来た音とは違う。私の道々聞いて来たのは、劇場のそれのような本式の賑かなのではなく、余り慣れない手が独りでポツンポツンと爪弾《つまびき》していたような音だった)此処は沖縄県人ばかりのための――従って、芝居は凡《すべ》て琉球の言葉で演ぜられる――劇場である。私は、何ということなしに、小屋の中へはいって見た。相当な入りだ。出しものは二つ。初めのは標準語で演ぜられたので、筋は良く判ったが、極めて愚劣なくすぐり[#「くすぐり」に傍点]。第二番目の、「史劇北山風雲録」というのになると、今度は言葉がさっぱり[#「さっぱり」に傍点]分らない。私にはっきり聴き取れたのは「タシカニ」(この言葉が一番確実に聞き分けられた。)「昔カラコノカタ」「ヤマミチ」「トリシマリ」などの数語に過ぎぬ。かつてパラオ本島を十日ばかり徒歩旅行した時、途を聞く相手が皆沖縄県出の農家の人ばかりで、全然言葉が通じないで閉口したことを憶い出した。
 芝居小舎を出てから、わざわざ廻り道をして、チャモロ家屋の多い海岸通りを歩いて帰った。この路もまた白い。ほとんど霜が下りたように。微風。月光。石造のチャモロの家の前に印度素馨《インドそけい》が白々と香り、その蔭に、ゆったりと牛が一匹|臥《ね》ている。牛の傍にいや[#「いや」に傍点]に大きな犬が寝ているなと思って、よくよく見たら山羊であった。




底本:「山月記・李陵 他九篇」岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年7月18日第1刷発行
   2003(平成15)年4月15日第15刷発行
底本の親本:「中島敦全集 第一巻」筑摩書房
   1976(昭和51)年3月15日
初出:「南島譚」今日の問題社
   1942(昭和17)年11月
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年4月14日作成
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