Pットが沢山並び、室内に張られた紐《ひも》には簡単着の類が乱雑に掛けられ(島民は衣類をしまわないで、ありったけだらしなく[#「だらしなく」に傍点]干物《ほしもの》のように引掛けておく)竹の床の下に※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]どもの鳴声が聞える。室の隅には、マリヤンの親類でもあろう、一人の女がしどけなく寝ころんでいて、私どもがはいって行くと、うさん臭そうな[#「うさん臭そうな」に傍点]目を此方に向けたが、またそのまま向うへ寝返りを打ってしまった。そういう雰囲気の中で、厨川白村やピエル・ロティを見付けた時は、実際、何だかへんな気がした。少々いたましい気がしたといってもいい位である。尤も、それは、その書物に対して、いたましく感じたのか、それともマリヤンに対していたいたしく感じたのか、其処まではハッキリ判らないのだが。
 その『ロティの結婚』については、マリヤンは不満の意を洩らしていた。現実の南洋は決してこんなものではないという不満である。「昔の、それもポリネシヤのことだから、よく分らないけれども、それでも、まさか、こんなことは無いでしょう」という。
 部屋の隅を見ると、蜜柑箱のようなものの中に、まだ色々な書物や雑誌の類が詰め込んであるようだった。その一番上に載っていた一冊は、たしか(彼女がかつて学んだ東京の)女学校の古い校友会雑誌らしく思われた。
 コロールの街には岩波文庫を扱っている店が一軒も無い。或る時、内地人の集まりの場所で、たまたま私が山本有三氏の名を口にしたところ、それはどういう人ですと一斉に尋ねられた。私は別に万人が文学書を読まねばならぬと思っている次第ではないが、とにかく、この町はこれほどに書物とは縁の遠い所である。恐らく、マリヤンは、内地人をも含めてコロール第一の読書家かも知れない。

 マリヤンには五歳《いつつ》になる女の児がある。夫は、今は無い。H氏の話によると、マリヤンが追出したのだそうである。それも、彼が度外《どはず》れた嫉妬家《やきもちや》であるとの理由で。こういうとマリヤンが如何にも気の荒い女のようだが、――事実また、どう考えても気の弱い方ではないが――これには、彼女の家柄から来る・島民としての地位の高さも、考えねばならぬのだ。彼女の養父たる混血児のことは前にちょっと述べたが、パラオは母系制だから、これはマリヤンの家格に何の関係も
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