煖、に美しく見えない。というより、全然、美というものが――熱帯美も温帯美も共に――存在しないのだ。熱帯的な美を有《も》つはずのものも此処では温帯文明的な去勢を受けて萎《しな》びているし、温帯的な美を有《も》つべきはずのものも熱帯的風土自然(殊にその陽光の強さ)の下に、不均合《ふつりあい》な弱々しさを呈するに過ぎない。この街にあるものは、ただ、如何にも植民地の場末と云った感じの・頽廃《たいはい》した・それでいて、妙に虚勢を張った所の目立つ・貧しさばかりである。とにかく、マリヤンはこうした環境にいるために、自分の顔のカナカ的な豊かさを余り欣《よろこ》んでいないように見えた。豊かといえば、しかし、容貌よりもむしろ、彼女の体格の方が一層豊かに違いない。身長は五尺四寸を下るまいし、体重は少し痩《や》せた時に二十貫といっていた位である。全く、羨《うらや》ましい位見事な身体であった。
私が初めてマリヤンを見たのは、土俗学者H氏の部屋においてであった。夜、狭い独身官舎の一室で、畳の代りにうすべり[#「うすべり」に傍点]を敷いた上に坐ってH氏と話をしていると、窓の外で急にピピーと口笛の音が聞え、窓を細目にあけた隙間から(H氏は南洋に十余年住んでいる中に、すっかり暑さを感じなくなってしまい、朝晩は寒くて窓をしめずにはいられないのである。)若い女の声が「はいってもいい?」と聞いた。オヤ、この土俗学者先生、なかなか油断がならないな、と驚いている中に、扉をあけてはいって来たのが、内地人ではなく、堂々たる体躯の島民女だったので、もう一度私は驚いた。「僕のパラオ語の先生」とH氏は私に紹介した。H氏は今パラオ地方の古譚詩《こたんし》の類を集めて、それを邦訳《ほうやく》しているのだが、その女は――マリヤンは、日を決めて一週に三日だけその手伝いをしに来るのだという。その晩も、私を側に置いて二人はすぐに勉強を始めた。
パラオには文字というものが無い。古譚詩は凡てH氏が島々の故老に尋ねて歩いて、アルファベットを用いて筆記するのである。マリヤンは先ず筆記されたパラオ古譚詩のノートを見て、其処に書かれたパラオ語の間違《まちがい》を直す。それから、訳しつつあるH氏の側にいて、H氏の時々の質問に答えるのである。
「ほう、英語が出来るのか」と私が感心すると、「そりゃ、得意なもんだよ。内地の女学校にいたんだものね
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