」力を、我々がこの島の肌黒く逞《たくま》しい少女どもに見出しがたいだけのことだ。一体、時間[#「時間」に傍点]という言葉がこの島の語彙《ごい》の中にあるのだろうか?
一年前、北方の冷たい霧の中で一体自分は何を思い悩んでいたやら、と、ふと私は考えた。何か、それは遠い前の世の出来事ででもあるように思われる。肌に浸みる冬の感覚ももはや生々《なまなま》しく記憶の上に再現することが不可能だ。と同様に、かつて北方で己を責めさいなんだ数々の煩《わずら》いも、単なる事柄の記憶にとどまってしまい、快い忘却の膜の彼方に朧《おぼ》ろな影を残しているに過ぎない。
では、自分が旅立つ前に期待していた南方の至福とは、これなのだろうか? この昼寝の目醒めの快さ、珊瑚屑の上での静かな忘却と無為と休息となのだろうか?
「いや」とハッキリそれを否定するものが私の中にある。「いや、そうではない。お前が南方に期待していたものは、こんな無為と倦怠とではなかったはずだ。それは、新しい未知の環境の中に己《おのれ》を投出して、己の中にあってまだ己の知らないでいる力を存分に試みることだったのではないのか。更にまた、近く来るべき戦争に当然戦場として選ばれるだろうことを予想しての冒険への期待だったのではないか。」
そうだ。たしかに。それだのに、その新しい・きびしいものへの翹望《ぎょうぼう》は、いつか快い海軟風《かいなんぷう》の中へと融け去って、今はただ夢のような安逸と怠惰とだけが、懶《ものう》く怡《たの》しく何の悔も無く、私を取り囲んでいる。
「何の悔も無く? 果して、本当に、そうか?」と、また先刻の私の中の意地の悪い奴が聞く。「怠惰でも無為でも構わない。本当にお前が何の悔も無く[#「何の悔も無く」に傍点]あるならば。人工の・欧羅巴《ヨーロッパ》の・近代の・亡霊から完全に解放されているならばだ。ところが、実際は、何時《いつ》何処《どこ》にいたってお前はお前なのだ。銀杏の葉の散る神宮外苑をうそ[#「うそ」に傍点]寒く歩いていた時も、島民どもと石焼のパンの実《み》にむしゃぶりついている時も、お前はいつもお前だ。少しも変りはせぬ。ただ、陽光と熱風とが一時的な厚い面被《ヴェイル》をちょっとお前の意識の上にかぶせているだけだ。お前は今、輝く海と空とを眺めていると思っている。あるいは島民と同じ目で眺めていると自惚《うぬぼ》れ
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