やぢ[#「おやぢ」に傍点]と云つても、養父ですがね。そら、あの、ウ※[#小書き片仮名ヰ、404−12]リアム・ギボンがあれの養父になつてゐるのですよ。」ギボンと云はれても、私にはあの浩瀚なローマ衰亡史の著者しか思ひ當らないのだが、よく聞くと、パラオでは相當に名の聞えたインテリ混血兒(英人と土民との)で、獨領時代に民俗學者クレエマア教授が調査に來てゐた間も、ずつと通譯として使はれてゐた男だといふ。尤も、獨逸語ができた譯ではなく、クレエマア氏との間も英語で用を足してゐたのださうだが、さういふ男の養女であつて見れば、英語が出來るのも當然である。
私の變屈な性質のせゐ[#「せゐ」に傍点]か、パラオの役所の同僚とはまるで打解けた交際が出來ず、私の友人といつていいのはH氏の外に一人もゐなかつた。H氏の部屋に頻繁に出入するにつれ、自然、私はマリヤンとも親しくならざるを得ない。
マリヤンはH氏のことををぢさん[#「をぢさん」に傍点]と呼ぶ。彼女がまだほんの小さい時から知つてゐるからだ。マリヤンは時々をぢさん[#「をぢさん」に傍点]の所へうち[#「うち」に傍点]からパラオ料理を作つて來ては御馳走す
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