ツた銀竹[#「銀竹」に傍点]といふ言葉を爽かに思ひ浮かべてゐた。
雨が霽《あが》つてから暫くして表へ出て見たら、まだ濡れてゐる敷石路を、向ふから先刻の夾竹桃の家の女が歩いて來た。家に寢かし付けて來たのか、赤ん坊は抱いてゐない。私と擦れ違つたが、視線を向けもしなかつた。怒つてゐる顏付ではなく、全然私を認めないやうな、澄ました無表情な顏であつた。
[#改ページ]
ナポレオン
「ナポレオンを召捕りに行くのですよ」と若い警官が私に言つた。パラオ南方離島通ひの小汽船、國光丸の甲板の上である。
「ナポレオン?」
「ええ、ナポレオンですよ」と若い警察官は私の驚きを期待してゐたやうに笑ひながら言つた。「ナポレオンといつても、島民ですがね。島民の子供の名前です。」
島民には隨分變つた名前が色々とある。昔は基督教の宣教師に命名して貰ふことが多かつたので、マリヤとかフランシスなどといふのが多く、又、以前獨逸領だつた關係からビスマルクなどといふのも時にあつたが、ナポレオンは珍しい。しかし、私の知つてゐる他の島民の名前、シチガツ(七月に生れたのであらう)、ココロ(心?)、ハミガキ等に比べれば、何と
前へ
次へ
全80ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング