。餘り達者でない・公學校式の角張つた日本語で、ウチヘハイツテ、休ンデクダサイと言ふ。丁度咽喉が涸いてゐたので、椰子水でも貰はうかと、豚の逃亡を防ぐ爲の柵を乘越して裏から家の庭にはひつた。
恐ろしく動物の澤山ゐる家だ。犬が十頭近く、豚もそれ位、その外、猫だの山羊だの※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]だの家鴨だのが、ゴチヤ/\してゐる。相當に富裕なのであらう。家は汚いが、かなり廣い。家の裏から直ぐ海に向つて、大きな獨木舟《カヌー》がしまつてあり、其の周圍に雜然と鍋・釜・トランク・鏡・椰子殼・貝殼などが散らかつてゐる。その間を、猫と犬と※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]とが(山羊と豚だけは上つて來ないが)床の上迄踏み込んで來て、走り、叫び、吠え、漁り、或ひは寢ころがつてゐる。大變な亂雜さである。
椰子水と石燒の麺麭の實を運んで來た。椰子水を飮んでから、殼を割つて中のコプラを喰べてゐると、犬が寄つて來てねだる[#「ねだる」に傍点]。コプラがひどく好きらしい。麺麭の實は幾ら與へても見向きもしない。犬ばかりでなく、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]共もコプラは好物のやうである。其の若い女のたど/\しい日本語の説明を聞くと、此の家の動物共の中で一番威張つてゐるのは矢張犬ださうだ。犬がゐない時は豚が威張り、その次は山羊だといふ。バナナも出して呉れたが、熟し過ぎてゐて、餡《あんこ》を嘗めてゐるやうな氣がした。ラカタンとて此の島のバナナの中では最上種の由。
獨木舟《カヌー》の置いてある室の奧に、一段|床《ゆか》を高くした部屋があり、其處に家族等が蹲《うづくま》つたり、寢そべつたりしてゐるらしい。明り取りが無くて薄暗いので、隅の方は良く判らないが、此方から見る正面には、一人の老婆が傲然と――誠に女王の如く傲然と踞坐して煙草を吸つてゐる。さうして、外からの侵入者に警戒するやうな・幾分敵意を含んだ目で、私の方を凝乎《じつ》と見てゐる樣子である。あれは誰だと、若い女に聞けば、ワタシノダンナサン[#「ダンナサン」に傍点]ノオ母サンと答へた。威張つてゐるね、と言ふと、一番エライカラと言ふ。
其の薄暗い奧から、十歳ばかりの痩せた女の子が、時々獨木舟の向ふ側迄出て來ては、口をポカンとあけて此方を覗く。此の家の者は皆きちん[#「きちん」に傍点]とした服裝《なり》をしてゐるのに、此の子だけは殆ど裸體である。色が氣味惡く白く、絶えず舌を出して赤ん坊の樣にベロ/\音を立て、涎を垂れ、意味も無く手を振り足を摺る。白痴なのであらう。奧から、女王然たる老婆が喫煙を止めて、何か叱る。烈しい調子である。手に何か白いきれを持ち、それを振つて白痴の子を呼んでゐる。女の子が側へ戻つて行くと、怖《こは》い顏をしながら、それをはかせた。パンツだつたのである。「あの兒、病氣か?」と私が又若い女に聞く。頭ガワルイといふ返辭である。「生れた時からか?」「イイヤ、生レタトキハ良カツタ。」
大變愛想のいい女で、私がバナナを喰べ終ると、犬を喰はぬかと言ふ。「犬?」と聞き返す。「犬」と、女は其の邊に遊んでゐる・痩せた・毛の拔けかかつた・茶色の小犬を指す。一時間もかかれば出來るから、あれを石燒にして馳走しようといふのだ。一匹まる[#「まる」に傍点]の儘、芭蕉の葉か何かに包み、熱い石と砂の中に埋めて蒸燒にするのである。腸《はらわた》だけ拔いた犬が、その儘、足を突張らせ齒をむき出して膳の上に上《のぼ》されるのだといふ。
はふ/\の態で私は退却した。
出がけに見ると、家の入口の左右に、黄と紅と紫との鮮やかなクロトンの亂れ葉が美しく簇《むらが》つてゐた。
※[#ローマ数字4、1−13−24]
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月曜島には、公學校校長の家族の外に内地人はゐない。
朝、校長の官舍で食事をしてゐると、遠くから歌聲が聞えて來る。愛國行進曲だ。多くの子供等の聲と直ぐに分つた。聲がだん/\近付いて來る。あれは何ですと聞けば、同じ方面の生徒等は一緒に登校させるのだが、其の連中が、合唱しながらやつて來るのだといふ。聲は官舍の近く迄來ると、やんだ。途端に、トマレ! といふ號令が掛かる。玄關から外を見ると二十人程の島民兒童がちやんと二列に縱隊を作つてやつて來てゐるのだ。先頭の一人は紙の日の丸を肩にかついでゐる。其の旗手が、再び、ヒダリ向ケヒダリ! と號令をかけた。一同が校長の家に向つて横隊になる。と、一齊に、オハヨウゴザイマスと言ひながら頭を下げた。それから、又、先頭の腫物だらけの旗手が、ミギ向ケミギ! 前ヘススメ! をかけて、一行は、愛國行進曲の續きを唱ひながら、官舍の隣の學校の方へと曲つて行く。官舍の庭には垣根が無いので、彼等の行進が良く見える。背丈が(
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