ニ、始めて僅かに二三歩よたよた[#「よたよた」に傍点]と避けるだけである。大きいのは人間の子供位なのから、小さいのは雀位のものに至るまで、白いもの、灰色のもの、薄茶色のもの、淡青のもの、何萬とも數へ切れぬ數十種の海鳥共が群れてゐるのだが、殘念ながら、私には(同行の船員にも)一つも名前が判らぬ。私は唯無性に嬉しくなり、むやみに走り※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つては彼等を追ひかけ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した。幾らでも、全く可笑しい位幾らでも、捕《つか》まるのだ。嘴の赤くて長い・大きな白い奴を一羽抱きかかへた時は流石に少し暴れられてつつ突かれ[#「つつ突かれ」に傍点]はしたが、私は子供の樣に喚聲をあげながら何十羽となく捕へては離し、捕へては離しした。同行の船員等は始めてではないので私程に喜びはしなかつたが、それでも棒切を揮つては大分無用の殺生をしてゐた。彼等は手頃な大きさの奴三羽と、薄黄色い卵を十ばかり、食用にする爲に船へ持ち歸つた。
 遠足に行つた少年の樣に滿足し切つて船に戻ると、下船しなかつた警官が私に言つた。
「あの野郎(ナポレオンのことだ)昨日から不貞腐れて何も喰はんのですよ。芋と椰子水を出して手の繩を解いてやるんだが、見向きもせんのです。何處迄強情か底が知れん。」
 成程、少年は昨日と同じ場所に同じ姿勢でころがつてゐた。(幸ひ、そこは陽の射さぬ所だつたが。)私が側へ寄つても、目はハツキリあいてゐるくせに、視線を向けようともしないのである。

 次の朝、即ちS島を出てから二日目の朝、船は漸くT島に着いた。此の航路の終點でもあり、ナポレオン少年の新しい配流地でもある。堡礁内の淺い緑色の水、眞白い砂と丈高い椰子樹の遠望、汽船目懸けて素速く漕寄せて來る數隻のカヌー、其のカヌーから船に上つて來ては船員の差出す煙草や鰯の罐詰などと自分等の持ち來たつた※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]や卵などとを交換しようとする島民共、さては、濱に立つて珍しげに船を眺める島人等。それらは何處の島も變りはない。
 迎への獨木舟が着いた時、巡警は、まだ同じ姿勢で椰子バスケットの間に寢ころがつてゐるナポレオン(彼は到頭丸二日間、強情に一口も飮食しなかつたのださうだ)に其の旨を告げ、足の繩を解いて引起した。ナポレオンは大人しく立上つたが、巡警が尚も其の腕を取つて警官の方へ引張らうとした時、憤然とした面持で、島民巡警を不自由な肱で突き飛ばした。突き飛ばされた巡警の愚鈍さうな顏に、瞬間、驚きと共に一種の怖れの表情が浮かんだのを私は見逃さなかつた。ナポレオンは獨りで警官の後についてタラップを降りた。カヌーに移り、やがてカヌーから岸に下り立ち、二三の島の者と共に警官について椰子林の間に消えて行くのを、私は甲板から見送つた。
 此處で七八人の島民船客が椰子バスケットを獨木舟に積込んで下りて行つたのと入違ひに、ここからパラオへ行かうとする十人餘りが同じ樣な椰子バスケットを擔いで乘込んで來た。無理に大きく引伸ばした耳朶《みみたぶ》に黒光りのする椰子殼製の輪をぶら下げ、首から肩・胸へかけて波状の黥《いれずみ》をした・純然たるトラック風俗である。
 一時間程すると、警官と巡警とが船に戻つて來た。ナポレオン配流のことを島民等に言つて聞かせ、その身柄を村長に託して來たのである。

 出帆は午後になつた。
 例によつて濱邊には見送りの島の者がずらりと竝んで別を惜しんでゐる。(一年に三四囘しか見られない大きな[#「大きな」に傍点]船が發《た》つのだから。)
 陽除の黒眼鏡を掛けて甲板から濱邊を眺めてゐた私は、彼等の列の中に、どうもナポレオンらしい男の子を見付けた。オヤと思つて隣にゐた巡警に確かめて見ると、やはり、ナポレオンに違ひないと言ふ。大分離れてゐるので、表情迄は分らないが、今はもうすつかり[#「すつかり」に傍点]縛《いまし》めを解かれて、心なしか、明るく元氣になつたらしく見える。隣りに自分より少し小柄の子供を二人連れ、時々話し合つてゐるのは、既に――上陸後三時間にして早くも乾兒《こぶん》を作つて了つたのだらうか?
 船が愈※[#二の字点、1−2−22]汽笛を鳴らして船首を外海に向け始めた時、ナポレオンが居竝ぶ島民等と共に船に向つて手を振つたのを、私は確かに見た。あの強情な不貞腐れた少年が、一體どうしてそんな事をする氣になつたものか。島に上つて腹一杯芋を喰つたら、船中の憤懣もハンガー・ストライキも凡て忘れて了つて、たゞ少年らしく人々の眞似をして見たくなつたのだらうか。或ひは、其處の言葉は既に忘れて了つても、矢張パラオが懷しく、そこへ歸る船に向つて、つい手を振る氣になつたのだらうか。どちらとも私には判らない。

 國光丸はひたすら北へ向つて急ぎ
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