晋に入った衛の太子は、此の国の大黒柱たる趙簡子《ちょうかんし》の許に身を寄せた。趙氏が頗《すこぶ》る厚遇したのは、此の太子を擁立することによって、反晋派たる現在の衛侯に楯突《たてつ》こうとしたに外ならぬ。
厚遇とはいっても、故国にいた頃の身分とは違う。平野の打続く衛の風景とは凡《およ》そ事《こと》変《かわ》った・山勝ちの絳《こう》の都に、侘しい三年の月日を送った後、太子は遥かに父衛侯の訃《ふ》を聞いた。噂によれば、太子のいない衛国では、已《や》むを得ず※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]《かいがい》の子・輒《ちょう》を立てて、位に即かせたという。国を出奔する時後に残して来た男の児である。当然自分の異母弟の一人が選ばれるものと考えていた※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]《かいがい》は、一寸《ちょっと》妙な気がした。あの子供が衛侯だと? 三年前のあどけなさ[#「あどけなさ」に傍点]を考えると、急に可笑《おか》しくなって来た。直ぐにも故国に帰って自分が衛侯となるのに、何の造作も
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