つてゐる。海は靄ではつきりしないが、巨きな汽船《ふね》達の影だけは直ぐに判る。時々ボー/\と汽笛が響いて來る。
代官坂の下から、黒衣を被《かづ》いた天主教の尼さんが、ゆつくり上つて來る。近附いた時に見ると、眼鏡をかけた・鼻の無闇に大きな・醜い女だつた。
外人墓地にかゝる。白い十字架や墓碑の群がつた傾斜の向ふに、増徳院の二本銀杏が見える。冬になると、裸の梢々が澁い紫褐色にそゝけ立つて、ユウゴウか誰か古い佛蘭西人の頬髯をさかさまにした樣に見えるのだが、今はまだ葉もほんの少しは殘つてゐるので、其の趣は見られない。
入口の印度人の門番に一寸會釋して、墓地の中にはひる。勝手を知つた小徑々々を暫くぶらつき、ヂョーヂ・スィドモア氏の碑の手前に腰を下す。ポケットからルクレティウスを取出す。別に讀まうといふ譯でもなく、膝に置いた儘、下に擴がる薄霧の中の街や港に目をやる。
去年の丁度今頃、矢張霧のかゝつた朝、この同じ場所に坐つて街や港を見下したことがあつた。私は今それを思ひ出した。それが何だか二三日前のことのやうな氣がした。といふより、今も其の時から續いて同じ風景を眺めてゐるやうな變な氣がした。私の心に時々浮かんでくる想像――一生の終りに臨んで必ず感じるであらう・自分の一生の時の短かさ果敢なさの感じ(本當に肉體的な、その感覺)を直接《ぢか》に想像して見る癖が、私にはある――が、又ふつと心を掠めた。一年前が現在とまるで區別できないやうに思はれる今の感じが、死ぬ時のそれに似たものではないかと思はれたからである。坂道を駈降る人のやうに、停れば倒れるので止むを得ず走り續けて行く、さういふのが人間の生涯だ、と云つたのは誰の言葉だつたらう。
少し隔たつた處に極く小さい十字架が立つてゐて、前に鉢植のヂェラニウムが鉢ごと埋《い》けられてゐる。十字架の下の、書物を開いた恰好の白い石に、TAKE THY REST と刻まれ、生後五ヶ月といふ幼兒の名が記されてゐる。南傾斜の暖かさでヂェラニウムはまだ鮮かな紅い花を着けてゐる。
斯ういふ綺麗な墓場へ來ると却つて死といふものの暗さは考へにくい。墓碑、碑銘、花束、祈祷、哀歌など、死の形式的な半面だけが、美しく哀しい舞臺の上のことのやうに、浮かび上つてくるのである。
エウリピデスの作品の中の一節。ヒポリュトスの繼母のファイドラが不倫の愛情に苦しんで臥せつてゐる傍で、彼女の乳母が、まだ其の理由を知らないながらに、彼女を慰めてゐる。
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「人間の生活といふものは、苦しみで一杯でございます。その不幸には休みといふものがございません。しかし、若し人間のこの生活よりもつと快いものが假りにあるとしても、闇がそれを取圍み、我々の眼から隱して了つてゐます。それに此の地上の存在といふものは燦かしいやうに見えますので、私共は狂人のやうにそれに執着するのでございます。何故と申しまして、私共は他の生活を存じませんし、地下で行はれてゐることに就いては何も知る所がございませんから。」
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こんな言葉を思出しながら、周圍の墓々を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]すと、死者達の哀しい執着が――「願望《ねがひ》はあれど希望《のぞみ》なき」彼等の吐息が、幾百とも知れぬ墓處の隅々から、白い靄となつて立昇り、さうして立罩めてゐるやうに思はれる。
ルクレティウスを竟《つひ》に開かないまゝに、私は腰を上げる。海の上の烟つた灰色の中から、汽笛がしきりに聞えてくる。傾斜した小徑を私はそろ/\下り始める。
底本:「中島敦全集第一卷」筑摩書房
1976(昭和51)年3月15日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※校正には、1993(平成5)年6月20日初版第18刷を用いました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2004年4月20日作成
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