樣に考へてゐるだけであつて、自分の個性の形成に與《あづか》る所の自分の胃、自分の肺を、何時も自分の皮膚の下に意識してゐる譯ではないのではなからうか。

 身體を二つに切斷されると、直ぐに、切られた各※[#二の字点、1−2−22]の部分が互ひに鬪爭を始める蟲があるさうだが、自分もそんな蟲になつたやうな氣がする。といふよりも、未だ切られない中から、身體中が幾つもに分れて爭ひを始めるのだ。外に向つて行く對象が無い時には、我と自らを噛み、さいなむより、仕方がないのだ。
 私が何事かに就いて豫想をする時には、何時も最惡の場合を考へる。それには、實際の結果が豫想より良かつた時にホツとして卑小な嬉しさを感じようといふ、極めて小心な策略もあるにはあるやうだ。私が人を訪ねようとすると、私は先づ彼が留守である場合を考へ、留守でも落膽しないやうにと自分に言ひきかせる。それから、在宅であつても、何か取込中だとか他に來客がある場合のこと、又、彼が何かの理由で(假令、どんなに考へられない理由にしろ)自分に對して好い顏を見せないであらう場合、その他色々な思はしくない場合を想定して、さういふ場合の方が好都合な場合より
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