とを、身を以て悟るやうになつた今となつては、はや(種々な藥品の過度の吸入や服用その他によつて)自分にそれが失はれてゐるのだ。
今でもさうだが、以前から私は、夜、床に就いてから容易に睡れない。之は主に、この十年間一晩として服用しないでは濟まない喘息の鎭靜劑のせゐ[#「せゐ」に傍点]なのだが、結局睡眠の時間は二時間か三時間位のもので、却つて、晝間は一日中ボウツとしてゐる。床に就いてから眼が冴えてくるのに、私はそれでも無理に眠らなければいけないと考へて、恐らく私の一日中で一番頭のはつきりしてゐるに違ひない數時間を、眠らうとする消極的な下《くだ》らぬ努力のために費して了ふ。本當はさういふ時こそ、色々な思想の萌芽といつてもいゝやうなものが、どん/\湧いて來るやうな氣がするのだ。しかし、そんなものに就いて思考を集注し出したら一晩中興奮のために眠れないぞ、さうすると又、明日は發作だぞ、と、私は躍氣になつて、さうした斷片的な思惟の芽を揉み消して行く。全く私はどれ程の多くの思索の種子を寢床の闇の中でむざ/\と躪《にじ》り潰して了つたことか。勿論、私は思想家でも科學者でもないから、私のひよい/\と浮かん
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