つかい[#「おせつかい」に傍点]にも次の樣な話を私に告げて呉れた。何でも其の前々日かの晝休の時K君が受持の級へ行つて、「昨日の○○新聞の神奈川版に少し見たい所があるんだが、君達の中で誰か家《うち》にそれがあつたら持つて來て呉れませんか」と言つたのださうだ。それで級《クラス》の者が何人か家《うち》からその日附の神奈川版を持つて來て見たところ、其處には、小さくではあつたが、「Y女學校のK教諭見事高檢にパス」と出てゐたのだといふ。「それをわざ/\私達に知らせる爲に持つて來させたのよ。いやんなつちやふわ。ほんとに。」と生徒の一人は、生意氣な口をきいた。いくら若くても、まさか、とは思ふが、さういへば、そんな莫迦げた眞似もやりかねない程のK君の有頂天ぶり(得意氣に試驗の模樣を皆にふれ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つたり、急に、女學校の教師なんか詰まらないと言出して見たり)であつた。
人間は何時迄たつても仲々|成人《おとな》にならないものだと思ふ。といふより、髭が生えても皺が寄つても、結局、幼稚さといふ點では何時迄も子供なのであつて、唯、しかつめらしい顏をしたり、勿體《もつたい》をつけたり、幼稚な動機に大層な理由附を施してみたり、さういふ事を覺えたに過ぎないのではないか。誰も褒めて呉れないといつてべそ[#「べそ」に傍点]をかいたり、友達に無意味な意地惡をして見たり、狡猾《ずる》をしようとしてつかまつたり、みんな子供の言葉に飜譯できる事ばかりだ。だからK君の愛すべき自己宣傳なども、却つて正直でいいのだと思ふ。
歸途、山手の丘を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて見る。
まだ十時頃。極く薄い霧がずうつと立罩めて、太陽は空に懸つてゐるのだが、見詰めても左程眩しくない。磨《すり》硝子めく明るい霧の底に、四方の風景が白つぽく淀んでゐる。昨夕から引續いて、風は少しも無い。四邊の白さの底に何か暖いほんのりしたものさへ感じられる。
ポケットが重いので手をやつて見ると本がはひつてゐる。出して見るとルクレティウスである。今朝着て來た上着《うはぎ》は久しく使はなかつた奴だから、この本も何時ポケットに入れて持ち歩いたものやら記憶がない。
基督教會《クライスト・チャアチ》の蔦が葉を大方落し、蔓だけが靜脈のやうに壁の面に浮いて見える。コスモスが二輪、柵に沿つてちゞれながら咲殘
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