今日の母親としての彼女とを比べて見る時、――音樂の先生といふものは、他の學課と違つて遙かに自由な派手な、教師臭くないものではあるが、――それでも、今日の方が一年前より如何に樂しげに明るく、若々しく見えたことだらう。
教師といふ職業が不知不識の間に身につけさせる固さ。ボロを出さないことを最高善と信じる習慣から生れる卑屈な倫理觀。進歩的なものに對する不感症。さういふものが水垢のやうに何時の間にか溜つて來るのだ。「學校の先生が、生徒でない一人前の大人《おとな》と話をする時には、リリパットから歸つて來たガリ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]アのやうに、理解力の標準を換算するのに骨が折れる」と、ラムは言ふ。理解力だけだつたら、こんな幸ひな事はない。
六
カメレオンの籠には、もうカメレオンはゐない。綿が元の儘に敷かれ、止り木も元の儘にかゝつてゐる。
去年の春から、一年半ばかりの間に、この籠に三種の動物が住んだ。最初は、黒い眼の周圍を白く縁取つた・見るからにいたづら[#「いたづら」に傍点]つ兒らしい黄牡丹インコの番《つがひ》である。これは一年近くゐたが、一羽が病氣(?)で死んだので、殘つた方も人にやつて了つた。次は、翼が藍で胸の眞紅な大きな鸚鵡。之はかなり立派で、止り木にとまつたまゝうつら/\とうたた寢[#「うたた寢」に傍点]するところなど、仲々に澁いものがあり、娼婦の衣裳を纏うた哲學者だ、などと喜んでゐたのだが、到頭餌のやり忘れで死なせて了つた。最後がカメレオンで、これは五日間しかゐないで、動物園へ行つて了つた。寂しいといふ程ではないが、餘り愉しい氣持ではない。
授業の無い日だが、Y君に昨日の樣子を聞くために學校へ行く。Y君の話によると、動物園でも大變喜んで受けて呉れた由。「大變大きいカメレオンですね。うち[#「うち」に傍点]に今ゐる奴は殆どこの半分位しかありませんよ」と言つてゐたさうだ。なほ、死んだ場合には剥製用として學校の方へ送つて貰ふ約束にして來たといふ。Y君に禮を云つて、歸らうとすると、「夕方から南京町でK君のために祝ひの會をすることになつてゐるから、出て呉れませんか」と言はれた。出席する旨返事して學校を出る。
K君は二週間程前、英語の高等教員檢定試驗に合格したのである。この間カメレオンを貰つた日に、K君の受持の生徒が二三人、おせ
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