ず、願《ねがわ》くは有志の士は自ら寒中登岳してその労を察せられんことを。
予は実にこの経験によりて、造化の執拗《しつよう》にしてますます気象の畏《おそ》るべきものなることを知ると共に、山頂と山下《さんか》との総ての気候は、いわゆる霄壌《しょうじょう》の差異あることを認め得たり、下山の途中既に五合目辺に下れば、胸部自ら透《す》きて、心神爽快を覚え、浮腫知らず識《し》らず、減退して殆んど常体に復し、全く山麓に達するに及びては、いわゆる形容|枯槁《ここう》の人となり、余人は寒気耐え難しといい合えるにもかかわらず、予らはさほどに寒気を感ぜず、また今まで食気更に振わざりしに引かえ忽《たちま》ち食慾を奮起し、滞岳中に比すれば無論多食せしといえども、更に胃を傷《そこな》うことなかりし、これによりて見るに、滞岳中食気振わざりしは、強《あなが》ち直接に胃の衰弱せしためのみに非《あら》ずして、山頂と寒気さほど差違なき五合目辺に於て、已に爽快を覚ゆるを以て考うれば、その身体に異常を感ずるものは、ただ気圧の点あるのみ、勿論運動または沐浴《もくよく》の不如意《ふにょい》等も、大に媒助《ばいじょ》する所ありしには相違なきも主として気圧薄弱の然《しか》らしむる所ならんか、暫《しばら》く疑《うたがい》を存す、もし予にして羸弱《るいじゃく》にして、体育の素養なからんには、人事不省に陥《おちい》りたる後ち、再び起つこと能わざりしならんにと、下山後医師の言を耳にしたることもありたれども、要するに予が幸に今日あるを得たるは、偏《ひと》えに有志者の特別の援助を与えられたるに依《よ》る。
予はかくの如く、しばしば思わざる逆境に臨《のぞ》みし代りに、再挙の計画に就きては、経験を得たること鮮少ならず。特に先ず須要《しゅよう》にして急務となすものは、観測所改造の挙に在《あ》り、これをして完全ならしめざれば常に天候に妨げられ、到底力を目的の業務に専《もっぱ》らにすること能わず、随て満足なる観測の結果を得んこと望むべからず、故に完全なる家屋改造のことは、実にこの事業の根底なりとす、然るに先年は諸事完備を欠くこと多かりしにもかかわらず、寒中殆んどその半ば滞在し得たるのみならず、図らずも婦女子の弱体すらなおこれに堪《た》え得たる有様なるを以て、今《いま》もし前途の施設を完備せんには、常住観測の決して至難の業にあらざるは
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