頭の上で枝をゆすり、ときおり小鳥の美しい声が宇宙の静寂を破った。自分を除けば、あらゆるものが休むか楽しむかしていた。わたしは魔王のように、おのれの内部に地獄をもち、自分が同情されないのを感じながら、木々を根こぎにしようとし、やがて、まわりというまわりをめちゃくちゃに破壊してやろうと思った。
「しかし、これは、永つづきのしない感情の昂ぶりでしなかったので、体を動かしすぎてへとへとに疲れ、絶望に打ちひしがれたまま、湿った草の上にへたばってしまった。この世の数限りもない人間のなかに、わたしを憫んだり助けたりする者が、一人として無いのに、この敵に対して親切な気もちをもたなくてはいけないのか。否、その瞬間からわたしは、人類に対して、また何よりも、わたしを造り、この堪えがたい不幸へと送りこんだ者に対して、永遠の戦いを宣言した。
「陽が昇り、人声が聞えたので、昼のうちに隠れ家に戻れないことがわかった。そこで、これからの時間を自分の置かれた立場を考えて費すことに決め、とある茂った下生えに身を隠した。
「快い日の光と昼の澄んだ大気のおかげで、かなり平静を取り戻し、あの家で起ったことを考えてみると、自分があまり結末を急ぎすぎたというふうに信じないわけにいかなかった。わたしはたしかに、軽はずみに行動した。わたしの話があの父親に興味をもたせて、事が有利に運びそうに見えたのに、自分の姿を若い人たちの恐怖のなかにさらしたのは、ばかなことだった。ド・ラセー老人と親しくなり、あとの者に、わたしがあとから現われることに対して心の準備をさせてから、みんなの前に出て行くべきであっだ。しかし、このまちがいは、取り返しのつかないものでもないと信じたので、よくよく考えてみたあげく、あの家に戻って老人に会い、事情を訴えて自分の味方につけようと決心した。
「こう考えると気が静まってきたので、午後はぐっすりと寝込んだ。しかし、血が燃え立って、平和な夢は見られなかった。前の日の怖ろしい場面がしじゅう眼の前にちらついて、女たちが逃げ出し、怒ったフェリクスが父親の足もとからわたしを突き離した。ぐったりとして眼をさますと、もう夜になっていたので、隠れ家から這い出し、食べものを探しに出かけた。
「空腹がおさまると、よく知っている道へ歩みを向けて家のほうへ行った。そこではすべてが平穏だった。わたしは小屋に這いこみ、黙って皆のいつも起きる時刻を待っていた。その時刻が過ぎ、陽が高く昇ったのに家の人たちは出て来なかった。わたしは、何か怖ろしい災難でも起ったのかとおもって、がたがた慄えた。家のなかは真暗で、何の動く音も聞えなかった。この不安な苦しみはたとえようもなかった。
「やがて田舎の人が二人で通りかかり、家の近くで立ちどまって、しきりに手まねをまじえて話しはじめたが、その二人は家の人たちのことばとは違う国のことばで話したので、わたしには何を言っているのか見当がつかなかった。ところが、やがてフェリクスが別の人をつれてやって来た。その朝フェリクスが家を出なかったことはわかっているので、わたしはびっくりして、とにかくその話を聞いたうえで、こうして思いもかけず姿を現わしたのは、いったいどういうことなのかを知ろうとおもって、気づかいながら待ちうけた。
「つれの男がフェリクスに言った、『三箇月分の家賃を払って、しかも菜園の作物を手離さなくちゃならないなんて、お考えなおしになったらいかがです。わたしは不当な利益を占めたくはありませんよ。ですから、二、三日よく考えたうえでお決めねがいましょう。』
「フェリクスはそれに答えた、『それにはおよびません。私どもはこの家には、二度と住めないのです。お話したような怖ろしい事情のために、父の命がひどく危いのですよ。妻や妹は、あの怖ろしさからとても立ちなおれないでしょう。お願いだから、もう何も言わないでください。あなたの貸家はお返ししますよ。とにかく私をここから立ち去らせてください。』
「フェリクスはこう言っているあいだもひどく慄えた。二人は家のなかに入り、二、三分も居たかとおもうと出ていった。ド・ラセーの家族の者は、もはや一人も見当らなかった。
「わたしは、その日の残りを、まったくの気のぬけた絶望状態のまま、小屋のなかで過ごした。わたしの保護者たちは立ち去ってしまい、わたしを世間につないでいたただ一つの鎖が断ち切られたのだ。復讐と憎悪の感情がはじめてわたしの胸に溢れたが、わたしはそれを抑えようとはせず、押し流されるままになって、危害と死だけをもっぱら考えていた。わたしの友人たち、ド・ラセーのもの静かな声や、アガータのやさしい眼や、アラビアの婦人のなんともいえない美しさを思うと、そういう考えも消え失せ、涙が溢れ出ていくらか心が慰んだ。しかし、また、この人たちがわたしを足蹴
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