伯母さまがそれを見て、ジュスチーヌが十二歳のとき、母親を説きふせて、私たちの家でくらすことをお許しになったのです。私たちの国の共和的な制度は、近隣の大きな君主国でおこなわれる制度よりも単純で幸福な慣習をつくりあげています。ですから、住民のいろいろな階級のあいだに差別が少くて、下層の者も、それほど貧しくはないし、また、それほど軽くも見られていないので、その態度がずっと上品ですし、ずっと道徳的です。ジュネーヴでの召使は、フランスやイギリスでの召使と同じことを意味してはおりません。ジュスチーヌは、こうして、私たちの家庭に迎えられ、召使の仕事をおぼえましたが、私たちの幸運な国では、この身分は、無知という観念も、また人間性の尊厳をそこなうことも、含んではいないのです。
「おぼえていらっしゃるかもしれませんが、ジュスチーヌはあなたの大のお気に入りでした。いつかあなたが、気嫌のよくない時でもジュスチーヌがちょっとこちらを見ると直ってしまう、とおっしゃったのを、私おぼえておりますが、やはり同じ理由で、アリオストもこのあどけない娘の美点をあげています。それほど気さくで幸福に見えるのですね。伯母さまもこの子にたいへんお惚れになって、はじめそう思っていたのよりもずっとよけいに教育をつけておやりになりました。この恩恵は十分に報いられ、ジュスチーヌは身の置きどころもないくらいに感謝していました。その子が自分で告白したわけでなく、その子の口から聞いたわけでもありませんが、その眼を見ると、伯母さまをほとんど崇拝していることがわかりました。気もちが快活で、思慮が足りない点はいろいろありますけれど、伯母さまの身ぶりにいちいちできるだけの注意を払いました。伯母さまを何よりもすぐれたお手本と考え、ことばづかいからその癖までまねようと努力しましたので、今でもこの子を見るとよく伯母さまを憶い出します。
「伯母さまがお亡くなりになると、みんな自分の悲しみに沈んで、かわいそうにジュスチーヌを見てくれる者がありませんでしたが、伯母さまの御病気ちゅう、誰よりも心配して手厚く介抱したのはジュスチーヌだったのです。かわいそうにジュスチーヌは、自分のかげんがわるかったのに、もっと別の試煉が待ちかまえていたのでした。
「兄弟や妹がつぎつぎと死んで、その母親が、捨てておかれた娘以外には子無しになってしまったのです。母親はそこ
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