のであった。親たちが、自分の生んだ者に対して負うた義務を深く意識し、それに二人を元気づけた精極的な思いやりの精神を加えたので、私が子どものころのあらゆる機会を通じて忍耐、慈悲心、自制というようなものを教えこまれたこと、一本の絹のような綱で導かれたために、私にとってはすべてが一連の楽しみとしか見えなかったことは、想像がつくだろう。
長いこと私は、両親の世話をひとり占めした。母は女の子をほしがっていたが、依然として私は一人っ子であった。私が五つぐらいのころ、イタリアの国境を越えて旅をし、コモ湖の岸で一週間ばかり過ごしたことがあった。両親はそこで、その情深い気性から、貧乏人の小舎にたびたび出かけて行った。これは母には義務どころの沙汰ではなかった。苦しんでいる者に対して、今度は自分が護りの天使の役にまわる番であった母にとっては、――自分がどんなに苦しみどうして救い出されたかを思い出せば――ひとつの必然、ひとつの情熱であったのだ。あるとき、こういう散歩の途中で、とある谷蔭の貧しい小屋が、とくべつにうら悲しく立っているのが目についたが、そのまわりにたくさん集まっている半裸体の子どもたちを見ても、その最悪の貧窮ぶりがすぐわかった。ある日、父がミラノへ行ったとき、母は私をつれてこの家を訪れた。ひどく働いて心労とほねおりのために腰の曲った百姓夫妻が、ちょうど、腹をすかした五人の子どもたちに、乏しい食べものを配っているところだった。そのなかには、ほかの誰よりもよけいに母を惹きつける女の子が居た。その子は血統が違うように見えた。ほかの四人は眼の黒い丈夫なわんぱくどもであったが、この子だけは痩せぎすで、たいへん美しかった。髪の毛は輝くばかりのいきいきとした金色で、着物の貧窮さにもかかわらず、その頭に高貴な冠を戴いているようにおもわれた。眉毛ははっきりしていて豊かだし、青い眼には曇りがなく、唇や顔つきには敏感さや愛嬌のよさが現われていて、誰が見ても、種の違った子、天の申し子、あらゆる特色の点で天上の印を捺《お》された者としか見えなかった。
百姓の妻は、母がこの愛らしい女の子を驚異と歎賞の眼でじっと見ているのに気がついて、熱心にこの子の話をして聞かせた。この子は百姓の娘ではなくて、ミラノのある貴族の娘であった。母はドイツ人で、この子を産むとすぐ亡くなってしまった。赤ん坊はこの善良な人たちに
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