ものであったのに、わたしの感情は、日ごとに乱れてきた。知識が増した結果はただ、自分がみじめな宿なしであることを、いよいよはっきりと見せてくれただけのことであった。なるほど、わたしは、希望をもってはいたが、水に映った自分の姿とか、月光の投げた自分など、あの壊れやすい像や変りやすい像を見てさえも、それは消えてしまった。
「わたしは、こんな心配を握りつぶし、二、三箇月の後に受けようと決意した試験に対して、自分を強くしようと努力した。そして、ときには、理性では抑えきれない自分の思想が楽園の野に逍遥し、愛らしく美しい人たちが、自分の気もちに同感し、自分の憂いを吹きはらって、その天使のような顔が慰めの笑いを浮べている、というようなところを空想した。しかし、それはみな夢であって、悲しみを和らげてくれ、考えを共にしてくれるイヴは居なかった。わたしはひとりぼっちだった。創造者に対するアダムの歎願を、わたしはおぼえていた。けれども、わたしの創造者はどこにいるのだ? 創造者はわたしを見棄てておいたし、わたしも、心のつらさに堪えかねてこの創造者を呪った。
「秋はこんなふうにして[#「こんなふうにして」は底本では「こんふうにして」]過ぎてしまった。わたしは、木の葉が枯れ落ち、自然がふたたび、はじめて森や美しい月を見た時にまとっていた、あの荒凉とした吹きさらしの相貌を装ったのを、驚きかつ悲しんで眺めた。けれども、塞い気候はなんとも思わなかった。わたしは、体のつくりが暑さよりも寒さに堪えるのに適していたのだ。しかし、花や、鳥や、夏のあらゆる華美な装いを眺めるのが、何よりの歓びだったのに、そういうものがなくなったとなると、家の人たちにもっと注意を向けてみるしかなかった。この人たちの幸福は、夏を過ぎても減らなかった。この人たちは、たがいに愛しあい、同情しあった。この人たちの喜びは、いずれも相互に依りあっていて、まわりに起る偶発的なことでは中絶させられなかった。この人たちを見ていればいるほど、その保護と親切を得たいというわたしの願望はいよいよ強くなり、この愛すべき人たちに知られ愛されることを心から願い、この人たちの感情のこもったやさしい眼がわたしに向けられるのを見るのが、わたしの野心の極限であった。この人たちが軽侮と恐怖の念をもってわたしから眼をそむけるようなことは、どうしても考えられなかった。この家
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