けても暮れても考えたのである。
 ところが、ある日、バイロンとシェリーがいろいろ哲学的な問題を論じ、たまたま生命の原理について熱心に語って、最近におけるダーウィン博士の実験などにも触れたが、そのとき黙って耳を傾けていた著者は、怖ろしい暗示を感じて体を硬直させた。寝床に入っても眼が冴えて眠れなかった。そうだ、死体が生気を吹き返せないこともない。流電気はその可能性を考えさせる。生きるものの構成分子は造られ、接ぎ合され、活きた暖かさを賦与されるにちがいない。「私は見た、――閉じた眼で、しかし鋭い心的視力をもって――自分が接ぎ合せたもののかたわらに蒼ざめてひざまずく、穢らわしい技術の研究者を見た。」
 こうして、見るも怖ろしい怪物の影像が筆者の頭にこびりつき、逐い払っても去らなかった。
「私は恐怖しながら自分の物語を始めた。その考えが心に取り憑き、恐怖の戦慄が全身を駆けめぐり、私の幻想のものすごい影像がまわりの現実に取って代ろうとした。」そこで、翌日、「それは十一月のある恐ろしい夜であった」という書き出しで怪奇な短篇を作りはじめたが、夫シェリーが、それを長篇にすることをすすめた。
 この作品が一八一八年に出ると、浪曼派運動の風潮に乗じてたちまち大評判となり著者は四百ポンド(現在の私たちの七十万円以上にあたる)の大金を受け取ったというから、読者の少い当時としては最大のベストセラーになったわけである。爾来、今日にいたるまで、怪奇小説としてまず最初に指を屈するものが、この『フランケンシュタイン』であり、今では英語の辞書を開けば、フランケンシュタインということばは、「自分の造ったものに逐われて身を亡ぼすもの」という意味の普通名詞に使われている。この小説のできた動機は、前にも言ったように、俗悪な怪談に対して文学としてすぐれた超現実的な物語を書こうとするにあり、ふつう、そういう興味だけで読まれ、その意味で児童の読みものふうに再話したり、ただ怪物という主題だけを取ってこの作品に関わりのない怪奇映画にしたりされているが、「書きつづけているうちに、ほかのいくつもの動機が加わってきた」と著者みずから述べているように、シェークスピアやミルトンの塁を摩するひとつの荘厳な運命悲劇を書こうとしたことも事実である。ここには、『失楽園』等のサタンがじつは、みずからの背負う[#「背負う」は底本では「背貧う」
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